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旅先日常コンテンツの多幸感

いつだって旅したい。10連休は終わってしまったし、そもそも何連休でも関係ない仕事なんだけど、事情が許すならいまからだって旅に出る。

くるりが歌ってたように、旅に出る理由なんてだいたい百個ぐらいあって、全部後回しにしちゃっても旅に出る理由なんてない。

また何言ってるのかわからないこと言ってるけど、僕にとって旅に出るのは特別でもなく日常でもない感覚だからだ。あえて言うなら「旅」だとも思わずに、気がついたら知らない町を歩いてたぐらいの感じだ。

観光というのとも違う。なんだろう。どこかに出向いて違う日常を生きるというのが近い。

そう。ツーリストになってしまったら、どこに行ってもどこまでいっても非日常になってしまう。相対的に「もてなし」をされてしまう。もちろん、それは当たり前のことで嫌ではないのだけど、あまりそういうのは求めてない。

じゃあ、何を求めてるのか。特別でもふだんの続きの日常でもない、なんていうか旅先でのオルタナティブな日常が好きなのだ。

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これは僕と妻もそうなのだけど、どこに行ってもベタな観光地2、その地域の日常エリア8ぐらいの比率で過ごしてしまう。そうしようと思ってるわけでもなく結果的にそうなってる。

だから、行く先がほんとに地元資本で他地域には出店してないスーパー(ネイバフッド・ショッピングセンター)とか、観光客向けじゃない直売所、ごくふつうの地元の図書館とか美術館、公園、公共施設、食べログに出てこない店とかに偏りがち。

せっかく旅なのに? と思われるかもしれないけど、その町の日常にどれだけ入り込めるかが楽しいのだから仕方ない。

なんなら、ふつうに地元のスーパーで買い物かごを手に「あ、この味噌いいな(使ってる大豆がご当地の在来種のものだったりする)」と思って、じゃあ、この味噌でソースをつくって、この豚肉(これもご当地銘柄)を焼いたら」とか真剣に考えはじめる。

まるで、そのままその地域に自分の日常生活がワープしたかのように。

その瞬間、意識としてはそこで暮らしてるのだ。きっと量子的な世界では、ほんとにその町のどこかに自分たちの暮らす部屋があって不動産屋さんと契約までしてしまってるのかもしれない。やばい。

違う意味でのトリップにもなってるけど、まあ実害はないし誰かに迷惑をかけるわけでもないからセーフだと思う。

なんていうか、旅先で観光客向けコンテンツに出会うよりも、そこでの日常に入り込めるコンテンツが多いほうが個人的には多幸感がすごい。

まあ、こういうのもたくさんの人とはあまりわかり合えないことの一つなんだろうけど、いいんだ。