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大人になるとは

人間は子どもから大人になるという。なにをあたり前のこと言ってるんだろうと思われるかもしれないけど。

この時期、畑の夏野菜たちが育っていくのを見て(夏野菜は育つのが目に見えてわかりやすい)ふと思った。

野菜って大人になるって言わないよな、と。

もちろん、最初は種から芽が出て双葉(にならない単子葉類のネギとかトウモロコシとかもある)になり、本葉が出て花が咲いて実がなってという成長過程はあるけど、それが「大人になる」なのかというと、ちょっと違う気がする。

なんだろう。野菜とか植物って「育つ」けど、どの過程もそれぞれに、その課程であるべき姿なだけだなと思う。

すごく無理してがんばって大人になってるのもないし、大人になんてなれないと諦めてるやつもいない。もちろん、いろんな要因で育たなくて淘汰されていくのはあるけど、そうでなければ基本はみんないつも「そのまま」の姿だ。

だから人間もいつもそのままの自分でいられるといいよね、という話ではない。

人間はどうしたって、そこに「社会的動物」あるいは「ポリス(良き共同体)的動物」としての一面を持つから、やっぱりどこかで「大人」になって生きなくちゃいけない。

ただ、個人的にはアリストテレス(だったっけ?)が唱えたその考え方に「自然」も含めたいんだ。

自然の中にいても自分がちゃんと良き存在でいられること。直接的な言葉は交わさないけれど「自然」の声を聴くことができて、必要ならコミットすることもできる。それって大人じゃない? と思う。


たなかともこさんの、まさにNatureな記事を読んで(というか記事に感覚を開かされて)、ともこさんはそんなふうに自然と交歓できてるのが大人だなとすごく感じた。

大人って、なにかをうまく語れたり財力を持ったり、うまいことやれることだけじゃない。

それは大自然の中だけの話ではなくて、どこにいても誰といてもいなくても地図もコンパスもなくても、人に聞かなくても良き存在でいられること。

それが大人なんじゃないかと思う。