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何日後に死ぬヤギ

『100日後に死ぬワニ』という@yuukikikuchiさんの4コマ漫画をみんな楽しみに読んでると思う。いまや国民的連載だ。

それは言い過ぎだけど、僕の周りではけっこう読まれてる。

とくにすごい出来事が起こるわけじゃない。なんなら本当に100日後にワニが死ぬのかすらわからない。

100日後に死ぬとされてるけど、だからってワニは、残された命で特別なことしなくちゃと思ってるようにも見えない。ワニ本人は自分の命を知ってるのだろうか。たぶん知らない。


ある日のワニは、ただ道に落ちてる空き缶を拾って捨てただけだ。

またべつの日は友達のネズミ(たぶん)と夕陽の写真を撮ってテンション上がってる。

とりあえずいろいろ考えてるけどバイトしてるワニ。

それだけのことなのに、なんだかこころがギュッとした。まんまと作者の企みに乗ってる気もするけど。

ただ空き缶を拾って捨てたりしてるだけのことが、なんでこんなにエモなのか。

たぶん自分も同じだからだ。知らない誰か、メタ的な存在の何かから見れば、あのワニと同じように「何日後に死ぬヤギ」とタイトルがつけられてるのかもしれない。

だからって日々を大切に生きるとか、ありきたりなことを言いたくなるわけじゃない。

みんな本当は「何日後に死ぬ◯◯」とタイトル付いてるけど、空き缶拾ったりしてるんだなと思ったらなんか、それだけでドラマなんだなと思った。

電車待ちのホームでふと見上げた空の色。光の水玉が泳ぐ午後の廊下。イヤホンして信号待ちする知らない誰かの横顔。

名前もない日々のすべてに、本当は特別ないまがある。写真のExif情報みたいに裏書きされてるだけで表には特別なにも出てこないけど、そこにはその瞬間に存在した証がちゃんとある。

ただそれだけのことなんだけど、なんだか泣きそうになる。