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ライターはオフレコの中から、いかにリアリティをすくい上げるのか


取材していて「これは書かないでくださいね」という話を聞かせてもらうことがある。

本当に機密的な話(企業に多い)。過去にいろいろ問題になったことの真相的な話。いまさら蒸し返されると面倒くさい話。個人的に知ってることで公式の見解や発表とは異なる話。全体としては書いてもいいけれど、部分的にイリーガルな内容が含まれた話など。

そういう類いの話はもちろん記事や原稿に書けないし、書かない。一般的な感覚だとそもそも「相手が書いてほしくない話」には触れないほうがいいのだろう。

だけど、話を聞かせてもらって文章を書く仕事の場合、そうとも言えないことがある。

話しのテーマ全体像から見たときに、切り離せないからだ。

書かないでほしい話、書けない話を完全にカットして、テーマとなる話をしてもらったとしてもどこか実体のない話になる。書き起こしたときに話しの強度が足りないのだ。リアリティ。必然性。そういうものは書けない話の中に息づいている。

それに、相手に迷惑が及ばない前提の書き方をしたうえで「そのこと」に触れた方が、より話に読む価値が出たり、結果的に相手のメリットになることもあるからだ。

だからあえて書かないでほしい話、書けない部分も含めて、まずは話してもらう。聞かせてもらうけれど、そこは書かないですよという約束というか、信頼関係のもとで。

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話を聞きながら、どこを伏せて、どこまで書くか。

リアルタイムに進行する取材の中では、誰かがTVショーのようにダメなところで「ピー」を入れてくれるわけではない。どこまで聞くかは取材する側が相手に都度確認しながらやらないと、誰もやってくれない。

相手の話がうまく流れるように気を使いながら、自分の中で、こことここをカットしても話が破たんしないとか、構成上おかしくないか、相手にも迷惑が掛からないなという確認編集作業を話を聞きながらバックグラウンド処理的に同時に行う。

もちろん、脳内で編集した内容は取材しながら、タイミングを見て「それだと~という書き方だったら大丈夫ですよね」と具体的に言葉にし、相手にも伝えて、その場で確認する。

そこまでやって、何が何でも絶対書かないでほしいと言われることって実はほとんどない。

むしろ「書いてもらっていいから、こんなふうにしてほしい」という要望をもらうことのほうが多い。

事実は書いてもいいけれど固有名詞は伏せてほしいとか、前後関係までちゃんと書くならその部分に触れてもいいとかいろいろだ。

そう考えると、これはマズいんで書かないでくださいと言われて、あっさり引き下がってもいけないんだと思う。

実際に書く書かないは別にして「書いてほしくない話でも、話しはしたい」「話だけなら(その件について)聞いてくれていいよ」というケースは意外に多いのだ。

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こちらが無理に探ろうとしなくても「これはほとんど誰かに言ったことないんだけど」という前置き(ポジションでそういう風に使う人もいるけど)で話してもらえることだって珍しくない。

人は「公に書きにくい話」「書かれたくない話」であっても、理解はされたいものなんだと思う。正しい、正しくないとかのジャッジ抜きで。自分が逆の立場だったとしても、それはわかる。

だからこそ、ライターは「これは書かないでくださいね」という話から逃げられないし、逃げるべきではない。そして、相手との約束を守りながら、ちゃんと本当の意味で話を「聞く」。

それを「仕事」としてできているときは、自ずと「書かないでくださいね」の話が書けるのだと思う。