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わらしべ長者はなぜ大事な話なのか

なんでこういうの来るんだろ。なんでいまこれなんだ? そのときはよくわからないってことがある。

自分に依頼される謎な仕事とか、人との出会いから起こる事象とか。そういうの、ありませんか?

昔はいちいち「なんでだろ」と考えてた。考えたって仕方ないんだけどね。

あるときから考えるのをやめた。よほどのこと(廃墟の地下室に拉致られて謎の赤いボタンを押せとか)じゃなければ、まあそのまま乗ることにしたのだ。

歓迎でも嫌々でもなく、なんていうかフラットな気持ちで。

そしたらこんな変化があった。たいていのことが自然につながるようになったのだ。

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個別にはまったく関連ない事象AとDがつながってKになり、それがずっとそうしたいなとイメージしてたPを実現させるきっかけになったり。

これ、なにかに似てると思ったらあれだ。「わらしべ長者」だ。

偶然、手に触れたなんてことのない「わらしべ(藁)」が、なぜか最終的には屋敷に変わっている。

同じように、あとから考えると「そういうことだったのか」と腑に落ちることが増えたのだ。最初のAからPまでのつながりがそのときになって見える。

まあべつにそんなの珍しい話でもなくて、多かれ少なかれあることなんだけど、そういうのなんて言うんだろうとはずっと思ってた。

セレンディピティも近いけどそこまでじゃない。そしたら、ある人が「偶有性」って言うんじゃないかと教えてくれたのだ。

わらしべ長者という名の必然でも偶然でもない「偶有性」。規則性と不規則性のあいだを揺蕩う何か。

このなんとも言えない感覚を忘れたとき、たぶん世界がのっぺりとして味気なくなるんだろう。