写真_2019-10-19_17_24_59

なにもしないが足りてない

なにかしていないと置いていかれる(気がする)。なにか追いかけてないと忘れられてしまう(気がする)。

アテンションエコノミーに微笑まれた世界では、常になにかやるべきことがあって、追いかけるべき情報やコネクトしておくものがあるのが望ましい姿だ。

やることやりたいこと、追いかけるもの追いかけられるものがスケールしてる人ほど有名だったり影響力があったりで称賛され憧れの対象になる。しらんけど。

「fear of missing out」の頭文字を取ったFOMOが結構前に取り沙汰されたけど、その「怖れ」は消滅するどころかすっかりみんなを覆っている。

まだSNSSNSみんな言ってなかった10年ぐらい前に、シリコンバレーのとある企業の中の人の話を聞いて「そうなるよ」と言ってたとおりの世界になってるなとあらためて思う。

この世界では「なにもしない」選択はあり得ない。贅沢だ。貴族にしか許されない行為だ。

なにもしなかったらSNSに発信することがなくなってしまう。

きょうもなにもせず1日ぼんやりと過ごして幸せだった。そんな人は世捨て人か頭のバグだと思われる。本気か? と。

リゾートとか隠れ家的な温泉の広告なんかで「なにもしない贅沢」というのがあるけれど、それも正確じゃない。リゾートに行くという行為をちゃんとしてるのだから。

         ***

本当に日常が「なにもしない」になったらどうなるんだろう。たまに思う。家事とかそういうの以外で。

現実味が薄いので想像でしかないけど、思考や気分や、なにかしなくちゃがリセットされて逆にすごくフラットに「あ、ほんとにこれやりたい、やろうかな」が自然に出てくるのかもしれない。デジタルデトックスの行動版、行動デトックスだ。

けど、まあ現実的になにもしない日常はファンタジーに近い。

なにもしないが許されない世界はどこに行き着くんだろうな。いや、行き着くところなんて誰もわからないけど、なにかし続けないと自分だけが立ち止まったら大変だからな。大縄跳びで自分だけ跳ぶのをやめるみたいに。

だけど、みんなは、たまに言うのだ。なにもしない日があってもいいよなあ。