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なぜ、あの飲食店本を読みたくなるのか(その3)カフェやバーの村上春樹問題

取材は開店前のbar bossaの店内でさせてもらったのだけど、まだbarとしての空気が流れてない空間を独り占め(正確には林さんもいるけど)させてもらって、すごく気持ちよかった。

普段は入れない時空に入れるのは、ライターしていてよかったことのひとつかもしれない。

同時に、なんか懐かしいなと思った。学生のとき、いくつか飲食の世界でもバイトしたけれど、店を閉める作業がすべて終わったあとのホールなんかでぼーっとするのがちょっと好きだったのを思い出した。

何かが始まる前、終わった後。そのなにもない感じが昔から好きなのだ。

店をやるという選択肢がじつは人生にあってもいいのかもしれない。そんな気になるbar bossa林さんの新刊『なぜ、あの飲食店にお客が集まるのか』をめぐるインタビュー。(前回はこちら

話が少し跳ぶけど、ディズニー本を長く携わられてもらったこともあって、ディズニーの中の人から聞かせてもらった開園前・閉園後の世界すごく惹かれた。

ゲストもキャラクターもいない「静まり返ったパーク(ランドもシーも園内のことはパークと呼ばないといけない)」。そこにも、いろんな語られない物語がある。

もしかしたら飲食店をやる人は、もちろんお客さんでいっぱいの賑わいも好きなんだろうけど、きっとそれだけじゃない「自分だけの世界」に浸りたくて店をつくってる部分もあるんじゃないだろうか。

22年前にbar bossaをオープンさせたとき、林さんはどんな想いを店に持ってたのだろう。

「僕も何者かになりたかったんですよね、その頃は。大学中退して音楽業界に入りたくて。でも全然向いてないなって、それでレコード屋さんで働き始めて、そこから妻と知り合って付き合うことになり、飲食店、バーをやることになった。すごく端折って言うとですけど」

バーの形態にも、もちろんいろいろある。その中でもボサノヴァとワインのバーとしてbar bossaをつくったのはどうしてなんだろう。

「その当時は、そういうスタイルが新しいは新しいというのもあったんですけど、それ以上に自分の城が欲しかったんですよね。これはお店やりたい人のほぼ全員そうなんですけど。そこの主になりたい。雇われは嫌だし向いてない。

フリーランスの仕事も雇われではないけど、自分からクライアントに出向いて行かないと駄目じゃないですか。それが嫌で、自分の城を持ってそこに来てくれるスタイルがいい。だから難しいというのもあるんですけど」

自分の城。たぶん、言葉としては昔からあるけれど、その感覚みたいなものはきっとこれからもなくならないんだろうなという気がする。

「でも、僕の場合は最初から妻に『本、書くようになるから』って宣言して、それでとりあえずお店をやるって決めたから。これは日本中のカフェとカバーやってる何割かは村上春樹の影響です。自信持って言えるんですけど」

国分寺と千駄ヶ谷で若き村上春樹さんがやっていた伝説のジャズ喫茶「ピーターキャット」だ。

「影響受けてるいろんな例、知ってます。だからカフェとかバーの人たちでブログとか雑記書いて、書く表現をするの絶対そうだなと思う。僕もそのうちの一人ですね」

林さんは村上春樹について「男の子を刺激する独特のダンディズムがある」という。自分で店を持ちたくなるダンディズム。そんなのが村上春樹ワールドには流れてるのだ。

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bar bossaにもさりげなく村上春樹さんの本が置かれている。その本の佇まいは、どこか冬の始めの森を思わせる。越冬するリスが冬の間に読むために置いておいたみたいな。

「僕は最初、恥ずかしくて置いてなかったんですけど、でも置くようになりましたね。自分の中で村上春樹をどう処理するか問題ってあると思うんです。ライターの中でもないですか?」

林さんの言ってることはわかる。たしかに一定数いると思う。

村上春樹の影響を受ける。それが意識的であれ無意識的であれ、そこにはなぜか素直に「影響を受けてる」と言えない、言うと恥ずかしさが生まれたり、アイデンティティが崩壊するかもしれない問題が付いてまわるのだ。

「プロの小説家でも本格的に小説を書く前に村上春樹を好きで読んでいて、好きだから知らずに影響を受けてしまう。そうすると自分の文体じゃない。そこを思い切って振り切って、ようやくエンターテインメントが書けるようになったって話も聞いたことあります。

僕は村上春樹が変えたことは多いと思っていて。店をやって文章を書くもそうだし、日本人の文体を変えたと思う。あるとき、思いっきりブログを書いてる人で、この人すごく村上春樹好きなんだなって思って、その人と話す機会があったときに聞いたんです。好きなんですねって。

そしたら『え、僕読んだことないです』って。それで、あ、村上春樹は日本人の文体変えたんだと。読んだことなくても影響されるようになってしまったんだと思ったことあります」

日本人の書くもの、文体を研究するとき「村上春樹以前/以降」は、やっぱり何かが変わっているのが見えるのかもしれない。

日本のカフェやバーの村上春樹問題。じゃあ、純粋に飲食業界の中で村上春樹さんぐらいみんなに影響を与えた人はいるのだろうか。

「今回の本でも書いてる『三鷹バル』の一瀬さんも、日本でバルという形態を広めた人だし、そういう人はいます。冬でもかき氷で行列させるお店つくったりする人とか。それはあるんですけど、みんながみんなこの人の影響をというのはありそうでないですね。

たとえば、本格的な作曲をやりたいと思った人が、ベートーベンもモーツアルトも聴いたことがないってなると、それは聴いたほうがいいと思うよって言われると思うんですけど。飲食の世界でそこまで絶対的な人っていないかな」

たしかに「飲食ビジネス」の文脈では、業界では名の知れた経営者も多い。だけど、どちらかというとそれは、いろんな飲食ブランドを立ち上げ上場させた経営者としての影響力だ。村上春樹問題とはちょっとレイヤーが違う。

なんていうか、もっと「人間み」の部分での影響と問題なのだ。

「そういう点で飲食って、これだけ情報が伝わってしまう時代でもやりやすいのかもしれないです。情報が行きわたってるのに影響されなくても済むから。あと、影響されたとして真似しても誰も怒らない珍しい業界でもありますよね。タピオカミルクティーを後から始めたって全然恥ずかしくはないし」

もちろん、林さんがタピオカミルクティーを勧めてるわけではない。あくまで何をやるとしても、誰かの影響を受けるというのはそこまでなくて、結局「個人に戻ってくる」のだ。

自分の城を持って何をやってもいい。案外、そんな単純なところが飲食店をやるという初期衝動であり、時代が変わっても変わらないおもしろさなのかも。

(つづく)

次回……飲食店が難しい街ってあるんですか?