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「考える」を間違えがち

ちゃんと考えたのか? という怒られがある。学生なら課題に対してとか、社会人なら上司や取引先に提出する提案書だとかに対して。

こういうときの「考えた」は何なんだろうか。

もっと考えてください、というダメ出しに対してダメ出しする側、手を動かす側の双方がやってしまいがちなのが「とりあえず目についたところ」に対して「考えて」しまうことだ。

重箱の隅をつつくという表現があるけど(これも伝わらない人いるかもしれない)、本筋ではないどっちでもいい部分、清涼飲料水と書くかソフトドリンクと書くかみたいなところで考えてしまうと、まああまりいいものにはなりにくい。

属人的なモノサシを引っ張り出してきて「あの人はこういう表現好きだから」みたいなのに寄せて何とかクリアしようとしたり。

まあ、そういうのもたしかに「考えた」なんだけど、本来はそうじゃない。
考えるとは前提も含めて考えることだから。

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そもそも本当にそれでいいのか? もっと言えば本当にそれを考えることなのか? から考える。物事を動かすコアな部分、大事な部分は何なのかを考えるのが「考えた」だと思う。

だけど「考える」は、ある程度トレーニングされてないとやっぱり難しい。日本の学校教育ではまだ、一部を除いて難しいと思う。教育改革で「考える力」を養うとか掲げられてるけど。

現状では正確を当てにいくための考えると、細かな差異を指摘する考えるにどうしてもなってる。他の人と比べて、どれだけ「違う意見」を言うために「考えた」かとか、自分の主張を通すためにロジックを駆使することを「考えた」も必要なんだけど、どこかまだ狭い。

もっとフラットに、英語で言うWonderな感じ(この意味合いが好きだ)で「考えた」ができるようになればいいんだけどね。