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より少なく多くのことを

なかなか伝わらないと思う。

「より少なく多くのことを」って、少ないのか多いのかどっちやねん。突っ込まれるのもわかっている。でも、そうしたいなと思うのだ。

より少なく多くのことを生きる。

なんだろう。「生き方」というと壮大すぎるし「日常の歩き方」だと、なんだか軽すぎるしありがちなタイトルみたいになる。そういうのじゃなくて。

フランス語で「Art De Vivre」ということばがあるけど(昔、誰かに教えてもらった)そっちに近い。直訳すると「生きる技法」とか「生きることをアートにする」みたいになるけど。

ちゃんと自分の中の、自分の人生を味わえる大事な部分を持ち続ける。

「より多く」に傾きすぎると、多くのものが自分を占領してしまって「自分の人生」を味わえなくなる。だから「より少なく」したほうが「より多く自分の人生を」味わえる。

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「Viva La Vida」ということばもあった。スペイン語なのかな。Coldplayの曲でも有名だけど、生と死とそこに集うすべての人に問いかけられてる気がする。

Viva La Vida――。より多くを集めようとして「自分」が少ししかない人生を生きるのか、集めるものはより少なくても多くのことを味わい分かち合う「自分の」人生を生きるのか。


@cocciorinoさんのツイートもそうだった。


同じ時代に生きていて、同じように何かを食べ、同じように何かを話していても海の向こうの人生が「何かちがう」と感じるのはなぜなんだろう。

「働く、食べる、話す、寝る」という次元での「人間が暮らす」は日本でもイタリアでも本質的な違いはないはずなのに。

僕はイタリアで暮らしたことも彼の地で根無し草経験もしてないけれど、やっぱり「何かちがう」を思うのだ。

これもよく聞く話だけど、生活や人生の満足度に関する調査をしたとき「もっと○○があれば満足度が上がる」と考える人の割合が日本人は多い。

現状の不満足で生活や人生の満足度が左右されるのだ。それに対して、ヨーロッパ圏の人たちは(かなりざっくりな比較だけど)、現状の足りないものより、自分の身の回りにあるもの(有形無形のもの含めて)で生活や人生の満足度を感じる傾向がある。

もちろん、どっちが正しい正しくないの話ではないです。

だけど、「もっと○○があれば」と「より多くのものを」求め続ける人生からは、なぜか、小さいけれどたくさんある幸せな味がこぼれ落ちるんじゃないかという気がする。