適度にいい加減な人のほうが信頼できる説
これは何の根拠もないので、呑みながらするような話だと思って聞いてもらえるといいんだけど。
なんか、この人いい加減だなぁと思っても、それがネガティブに振れる人と、ポジティブに振れる人がいる。
最近、出会ったのは後者のほう。
俺、いい加減なんだよ。
その人は自分でそう言う。何でもないことのように。逆マウンティングを取って言ってるんじゃない。そういうのはわかる。
本当にナチュラルにいい加減で、そのいい加減さがその人のつくり出すものとつながってるのがわかるのだ。なんだろう。言語化が難しいのだけど、その人の「味」みたいなものになってる。
そうではないネガティブに振れるほうのいい加減さは、あてもなくいい加減だったり、大事な約束を破るとか、お互いのバランスを取りづらくさせるいい加減さ。こっちはなかなか面倒くさい。
いや、ポジティブに振れるいい加減さを持ってる人も、想定の斜め上を行ったり、こっちだと思ってたら「えっ、そっち?」みたいなのはあって周囲をざわつかせたり、ときにはあわてさせたりもする。
だけど、結果的には、そんなのどうでもよくなる何かをもたらしてくれる。憎めない。個人的にはそういう人はわりと好きだ。自分がそうなりたくてもなれないからかもしれないけど。
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ただ、いまの世の中って「いい加減」はあまり好まれないかもしれない。
「あの人、いい加減なんだよね」と風評が立つと、やっぱりみんないいほうには取らないから。「いい加減なライター」っていうのも、なかなか生きづらそうだ。
それでもやっぱり、ときどき思うことがある。一見、ちゃんとやってそうに見えて、じつは「見せてる部分」を取っ払ったら結構いい加減なのもあるんじゃないか。人でも情報でも仕事でも。
そういうのはもちろんネガティブに振れるほうのいい加減さだ。
で、思うのはふだんから適度にいい加減なほうが肝心なところではちゃんとしてるんじゃないかという仮説。
「ちゃんと見せよう」とか邪な気持ちがなく、フラットにいい加減だから、べつに手を抜いてるわけじゃない。必要以上に変な力も入ってないし、入れるつもりもないから、つくるものとか出てくるものがちゃんとしてたりする。
あと、ちゃんといい加減にやれてる人って、肝心なところ、自分にとって譲れないところは手を抜かない。その人自身を込めている。だからクセはすごくあるんだけど、それが逆に信頼できたりする。
うん。またよくわからないこと言ってるかもしれない。
なんか、本当にちゃんと「いい加減」な人の良さを伝えられたらなと思う。受け取る受け取らないは自由。そういうのもあるよって。
世の中的には見えやすいところでちゃんとやってる風に見える人のほうが評価されがちだけどね。