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海老フライサンドの終わり

もういまは会えない。あのとき確かめていれば。

いまでもふとしたときに、そんな気持ちになることがある。はい、そこ。気持ち悪いとか言わない。

海老フライサンドの話だ。

なぜかきょうは僕のTLに海老フライがよく流れてくるので、思い出したのだ。

その日、僕は取材先に向かうために名古屋の地下街を歩いていた。名古屋の地下街は天井が低い。徳川家康が命じたのかもしれないし、気のせいかもしれない。でも、やっぱり低いなといつも思いながら歩く。

個人的には天井の低い地下街は嫌いじゃない。なんていうか、親しみを感じる。お店の距離も近く感じる。

取材先に向かう地下鉄に乗るため急ぎ足になりながらも、なんとなくショーウインドーもチェックしたくなるのは悪いクセだ。

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ふと、何かが目にとまった。半分、通り過ぎようとしていたのに瞬間的に半身になってその物体に引き寄せられた。

海老フライサンド。なのだけど、どこか様子がおかしい。僕が知っている海老フライサンドじゃない。トーストの上に海老フライが3尾そのまま乗っている。

喫茶店(カフェではない)のメニューとして食品サンプルの海老フライがショーケースに入ってるのはわかる。だけど、だいたいお店のメニューで見る海老フライは白いお皿に乗せられていて、トーストの上に鎮座してるのは見たことがなかった。

斬新な気もするし、名古屋ではごくふつうのことでとくに変わったことではないのかもしれない。食の地域差はどこにだってある。

大阪ではお好み焼きとライスやおにぎりがセットになった「お好み焼き定食」が何の違和感もなくメニューに乗ってるように。

それでもトーストの上に乗った海老フライは、食の地域差というありきたりな壁を越えて僕にせまってきたのだ。

大げさに言えば、海老フライの概念がここに結晶化しているのでは? と。

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もちろん、僕も大人なのでわかる。サンプルはサンプルで、実際の海老フライはトーストの上に乗ったままなんてことはなく、ちゃんと切ってサンドされて、信号機のように3つの丸い断面で提供されるのだということも。

だけど、もしかしたら――。という想いも捨てきれない。本当にトーストの上にそのままどーんと海老フライが乗せられてくる可能性はゼロではない。

だからその喫茶店に行く機会があったら、一度「あのメニューのサンプルのままの海老フライサンドください」と言ってみたかったのだ。もちろん、ダメだったら大人しくサンドされたものをおいしくいただく。

と、くだらない想いをずっと持ち続けていたのだけど、この前、その店を久しぶりに通りかかったら、そんなものはなく、ごくふつうの海老フライサンドの断面になっていた。

もしかしたら「実物と違う!」とクレームが多かったのかもしれないし、もうそういう見せ方は流行らないのかもしれない。

実際にお店で出て来る海老フライサンドは何も変わってないんだと思う。

だけど、僕の中では、もうあの海老フライサンドに会えないことのほうが大きいのだ。ほんと、どうでもいいことだけど。