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僕はあたまがよくない
「よく覚えてるね」「よく知ってるね」
世間で「あたまがいい」と言われる人って、どうやら「記憶力」がいいらしい。なにを今さらな話なんだけど。
それは脳の中の記憶するメディアの容量とか読み込み書き出しのスペックが優れてるのか、それとも記憶のプロトコルがうまく出来てるのか。どっちも優秀な人もいるから、到底かなわないなと思う。
だけどまあ、こうやってライターをやって生きていけてるんだから、とりあえずライターの仕事に必要なスキル、スペックと「あたまがいい」は、それほど関係ないらしい。よかった。
noteでもたまに書いてるけど、人の顔と名前を覚えるのだってかなり緩めだし、向こうはこっちを覚えていて、僕のほうが相手の方を(……えっと)となることも少なくない。
そこをどうにかしようとしても仕方ない。できるだけがんばってはいるけど。
だからって開き直るわけでもなくて、ちゃんと仕事するためにも「考える」作業はすごくする。
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記憶領域の性能が高くなくて、あたまがよくなくても「考える」はどうやら別領域の作業なのでできるのだ。
正解じゃないかもしれないことも含めて、いろんなことを考える。思考も寄り道しながら。そこはむしろできる。得意と言えるかどうかはわからないけれど。
「考える」をやってると、よく言われるみたいにシナプスがスパークして、いろんな方向に「可能性」の道が開けるのがわかる。なんだろう。突然、思考の中に道が開ける感覚。
いい意味での思考の飛躍ができる。
そうやって、新しく開通させた道を歩きながら、僕の場合はそこから見える景色やことばを拾って、文章を書いていく。すごく抽象的だけど、まあそういうスタイルの書き方もする。仕事にもよるんだけどね。
なのだけど、世の中的には今の時代に「考えるのって無駄」という風潮もあって、考えなくても正解を出せる、考えなくてもいい正解を書ける「あたまのいい」人の需要もある。
まあ、いろんな分野で「考えないでもいい」ようにモノや仕組みがつくられてるからそうなるんだろう。それもわかる。
だけど「考える」がそんなに必要とされなくなっても、まあたぶん、考えながら歩いて書くことはやめないんだろうな。