何もなくても関心があるかどうか
世論調査っておもしろいなと思う。世の中のあらゆる問題が「世論調査」という鍋に放り込まれる。どうでもいいことから、どうでもよくないことまで。
○○に関心があるかどうか。○○について反対か賛成か。
鍋はぐつぐつと音を立てたり、よくわからない色に煮詰まったりする。たいていの場合は、あまりおいしそうなものではない。
まあ、そもそも世論調査そのものがいろんなバイアスとか思惑と無縁ではいられないものだし、個人的にはすごく間違ってるともすごく間違ってないとも思わない。時の告げ方はひとつではないのだ。
なのだけど、関心の高さを問うタイプの世論調査はふしぎだなと思う。
ある事象に対して「非常に関心がある。関心がある。どちらかと言えば関心がある。関心がない」といった割合が発表され、それに対して識者と呼ばれる人やメディアがあーだこーだコメントする。
関心の高さが事の重要性を物語っていますとか、もっと関心が高まるように啓蒙活動が必要ではないかとか。
けど、そこは二重の意味で間違ってるんじゃないか。
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世論調査上の関心の高さと、そこで取り上げられた事象の重要性には相関関係はあるかもしれないけれど因果関係まであるとは言えない。問題の本質とは無関係に「関心だけ高い」ものだって世の中にはあふれている。
何かの啓蒙のために物議を醸すポスターを制作したら(よくあるよね)、確かに「事象への関心」は高くなるけど、啓蒙される問題の重要性(本質)に多くの人が入っていくわけではないから。
人々の関心は高まりました。けれど問題は何も解決しませんでした。そんなのいっぱいある。
メディアやネットで話題になっていることに関心があるだけで、その問題そのものに根源的な関心を持つ人は少数だ。
情報が出なくなれば、多くの人は話題にしなくなり関心は持たなくなる。
それは本来の関心ではない。
関心だけを持たせたければ、フェイクでも何でもそれに関することを流せばいいし、関心を逸らせたければ何も流さなければいい。
情報も何もない状態でも関心を持つ人はやっぱり少ないのだ。
話題にも何もなってないし、世論調査の鍋にも放り込まれないけれど、ひっそりと関心を持っているもの。そんなのがnoteでも、もっとたくさん読めるといいなと思うし自分からも読みにいきたい。
べつに深刻なものばかりじゃなくてもさ。