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AIの親になりたくない気持ちって何だろう

ここのところ、仕事でAI(Artificial Intelligence)の周辺をうろうろすることが多くて、ふと思うことがある。

「AIの親にはなりたくないな」

べつにAIを否定したいわけじゃない。どっちかというと「おもしろい」とさえ思ってる。現実的な面でも、フリーランスでやっている仕事にAIがナチュラルというか、フレキシブルに使えるようになればかなり「助かる」。

たとえば、本の原稿をDTPで組版(実際の本のページデザインに落とし込んだもの)してもらうために「原稿整理」という作業が必要だ。

すごく大雑把に言うと、明らかな誤字脱字や、おかしな言い回しのチェック、句読点や括弧なんかの約物の使い方、表記の統一をして、いわゆる「赤の少ない」初校を出せるようにする前工程。校正や校閲とはちょっと違って、ライターや編集者がやることが多い。

これって、AIができるならやってもらいたいと思ってるライターや編集者、結構いるんじゃないかと思う。

とはいえ、さらっと「じゃあやってもらえばいいじゃん」というわけにもいかない。AIの分野の中でも「自然言語処理」と呼ばれる技術は簡単じゃないのだ。

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自然言語処理とは文字のごとく、僕らが日常的に話したり、読み書きしている言葉(文章)をAIに処理してもらわないといけない。

たとえば「おおきなぱんつくった。いっしょにどう?」という文章があったとき。

1)「形態素解析」をして「意味をこれ以上分割できない単語」にする
2)「構文解析」をして単語の関係性を見る
3)「意味解析」をして正しい構文を読み取る
4)「文脈解析」をして文同士の関係性も考える

という文字にすると面倒くさい処理をするわけだけど、僕らはわりと自然に「ああ、大きなパン作ったんだ。一緒に食べない? って誘ってるんだ」と理解できる。

だけど、もしかしたら「大きなパンツ食ったよ。一緒にどう?」と、謎の性癖へのお誘いの可能性だってあるわけだ。ないけど。

そういうのをAIが瞬時に、しかも長文でも正しく処理して「原稿整理」できるようになるには、現状だといろんな意味で相当コスト(高スペックのマシンとか学習のための時間とか)がかかる。

端的に言えば、AIが正しく作業できるようにするために「適切な勉強」をちゃんと誰かがさせないといけないのだ。「機械学習」とか「ディープラーニング」というやつ。

これも「訓練データ」のエポック数(AIが自分で処理精度、予測精度を高められるようにするために、いい感じの特徴を捉えられるように一つの訓練データを何回くり返し学習させるかの数)をどうするかとか適切に設定できないと、そもそも「賢いAI」にならない。

結局のところ、まだいまは「それなりに優秀な人間」が、AIの教師というか親にならないというハードルがある。だんだん下がってはきてるけど。

じゃあ、自分が賢いAIを育てるために親として学習させたいか。微妙だ。たぶん、どうでもいいような話とかシュールな文章を一緒に投入したくなりそうだから。

なんだか「賢いAI」よりも「なごむAI」の方向性になってしまう。でも、それだったらいまのGoogle先生でも充分なので、やっぱりAIと個人的に仕事で付き合うのはもう少し先なんだろうな。