乗り物の座席が溶けるとどうなるか
乗り物に乗ると、なんでみんな座席に座るんだろう。
電車でもバスでも飛行機でもそうだ。都心の電車だと混んでいて座れないこともあるし、むしろ立ってたい派もいるけど。
移動時間が短くて頻繁に乗り降りが発生する乗り物は、座る座らないそれぞれだけど、そうじゃない新幹線とか長距離バスとか、まあまあ長時間乗るものは座席に座るが基本だ。
こいつ何、あたり前のこと言ってるんだろうと思われるかもしれない。そうじゃないんだ。
かねてから素朴に疑問なのは、なぜ「長時間の乗り物=座席」なのかだ。
だいたい、デザイン性とかホールド感の違いはあっても、乗り物の座席・シートといえばこういうものという暗黙の了解がある。乗り込んで「え、座席これなの?」という衝撃の座席に出会ったことってまあない。
みんな車内、あるいは機内の座席に何の疑問も抱かず、おとなしくまるでそんなの前々前世から知ってるかのように、それぞれの座席に収まっていく。その「あたり前」がたまにすごくふしぎになる。
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思うのだけど、べつに座席じゃなくてもいいかもしれない。
座席の代わりに人をダメにするソファ(あの微粒子ビーズに吸い寄せられるやつ)が配置されれいて、働く気持ちがぐにゃんぐにゃんに溶かされるのもいい。
あるいは、青い畳が敷かれていて、そこにみんな正座とか座禅するスタイルで乗車すると気分も変わる。袈裟を着た車掌さんが通りがかって、警策で肩を叩かれたりするのだ。
体育館みたいな床になっていて、体育座りするほうが落ち着くこともあるかもしれない。あと、バランスボールとかも。
なんでこんなこと考えるかというと、最近、乗り物に乗って座席に座ったらすぐに仕事に取り掛かるが多いから。
自分で自分をそうさせてるのだから自分が悪いのだけど、いや、これ座席があるのが悪いんじゃないかとか(壮大な責任転嫁スタイル)思ってしまう。ほんの少しだけど。
もし、あたり前に座席がなくて、もっとフリーダムな空間になってたらどうなんだろう。そんなことを考えてしまうぐらいには今日も仕事している。