どこにもたどりつかないキモチ

トモナガさんのお仕事

トモナガさんの仕事場は山手線の中だった。

といっても、スリや痴漢などではない。そういうのは、もちろん犯罪であって仕事とは呼べない。

じゃあ電車の運転士? それとも鉄道警察隊か何か? どれもちがう。ほとんどの人は、彼の仕事をしらない。


その日も、トモナガさんは五反田駅のホームにいた。

彼は、とある社章を胸に着けた男をマークして、 男が8両目の4番ドア付近に乗ったのを確かめると自分も隣のドアから乗り込んだ。

スマートフォンの画面を見ながら、さり気なくマークした男のほうへ車内を移動する。男はドアに一番近い吊り革につかまり、無表情に立っている。

朝のラッシュを過ぎ乗客は適度にまばらだ。電車が目黒駅の暗がりの中に進入するのと同時に、トモナガさんは男の前に廻り込むように立ち塞がる。


男の視界が遮られ、何かが男の顔とくちびるをふさぐ。

トモナガさんのキス。激しく。蜂に刺された毒でも吸い出すように深く激しくキスは続く。

突然始まった男同士の接吻に周囲の乗客は、うっとりと時の過ぎ行くのを忘れるわけはなく驚き唖然とし、二人だけの空間を遠巻きにする。

男は何やら呻き声のようなものを漏らし、トモナガさんを引き剥がそうとするが力が入らない。

男は吊り革を固く握り締めたまま身を反転させ、ねじれたようにドアにもたれかかり、トモナガさんは構うことなく散弾のようなキスを男に浴びせ続ける。



永遠とも思える時間が、駅到着のアナウンスと共に突然終わると、トモナガさんは男から離れ、開いたドアから電車を降りていく。

男は崩れ落ちるように床に座り込んだままだ。

目を見開き、ハンカチやスマホで口を押さえながらこの光景を見ていた乗客も、何事もなかったように電車から吐き出され、電車は新しい乗客と共に次の駅を目指す。

男だけが、どこにも行けず車内に取り残されている。

トモナガさんは、こうして今日もひとつ仕事を片付け、駅の階段を上りながらスマホを取り出す。

トモナガさんの報告メールは、男から離れる直前、一瞬だけ男のくちびるがトモナガさんを求めてきたことには触れていない。


photo by ayahitsuji