自分大学に入りたい
いますごく勉強がしたくて困ってる。学生のときの自分が聞いたらびっくりする。どうでもいい話なのはわかってるけど。
もちろん仕事を進めていく中で、日々、調べないといけないこと、知識や情報をアップデートしないといけない場面は当たり前のようにある。
書籍という物理的に上書き修正が難しい媒体の原稿を主に書いてるからというのもある。ちょっとしたことでも、本当にそうなのか、なぜそうなってるのかといった確認作業は常にしないといけない。
もちろん制作工程の中で校正や校閲は入るのだけど、そもそものところで間違った認識で間違ったことを「正しく」書いてしまっていたらまずい。
それも、自分の個人的な生活や興味関心から外れた分野であっても、自分が書く以上は基本的な大枠と構造は把握する。
そこからさらに歴史的背景や現在の課題、さまざまな取り組みや具体的なケーススタディも掘っていく。
でもそういうのって、どんな仕事でも(営業やマーケティングでも)あると思う。どこまでやるか、チーム的にやるか、いろんなデジタルなツールを使うとかの違いはあっても。
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困るのは、そうやって調べたり探究したり、洞察したりという作業をしていくうちに「ここをもっと掘ってみたい」とか「ここの構造をもっと解像度上げて詳細に把握したい」「基本から体系的に学びたい」の欲が出てくること。
それをやってると時間はいくらあっても足りない。それに、主目的は書籍の原稿を書くことであって、そこを勉強することではない。
なので、自分の中で「ここはもっと勉強したいリスト」が、参考図書と共にいくつも積み上がっていく。
まあ「勉強」や「学習」という言葉はあまり好きじゃない(ほかに言い方ないのかな)のだけど、大人になって自分の仕事を確立する中のほうが、勉強したい欲って高まる気がする。
こういう「感覚」って、勉強だけしてる学生のときにはあまり持てなかった。
それに、いまみたいな世の中というか時代って、ほぼどんな世界の仕事で生きていてもこれまでの学びだけで足りないんじゃないか。
なのに、やっぱり日本ではまだ「勉強や学習=学生がするもの」の空気が強くて、社会人学習というと「特別な人がするもの」になってる。
出典:OECD「Education at a Glance (2017)」をもとに作成 単位はパーセント
ちょっと前のデータだけど25歳以上の大学入学者割合を見てもOECD加盟国の中で日本は、びっくりするぐらい少ない。
「リカレント教育」って言葉も結構前から見聞きするけど、現実にはどうなんだろう。仕事をしてまたある期間、学びに入って、そこで得たもの拡張した自分を使ってまた仕事のレイヤーを変えてというサイクル。
実は、これってフリーランスだからこそやりやすいのかもしれなくて、ちょっと今年は部分的にでも取り入れたいとか考えてます。noteには既にやってる人も多そうな気がするし。
もちろん本気でどこかの大学に入り直すわけではなく、自分大学なんだけどね。