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ライターはカッコいいのか問題

あるところで言われた。

「ライターやってるんですか? カッコいいですね」

ふむ。社交辞令を少しイキらせたような表現だなと思いながらも、純粋に戸惑った。ライターってカッコいいのか?

世の中には2種類のライターがいる。カッコいいライターとカッコよくないライターだ。容姿とかの話じゃなくて、その存在としてね。

カッコいいライターの生態がよくわからないのだけど、きっとあんな人やそんな人のことを言うのだろう。今日、この人来るよとか名前が出されたらワーキャー言われるような。

で、僕は自分で言うのもなんだけど、存在的にはカッコよくないほうのライターだ。

移動中の車内でもカッコいいライターはスマートにPC開いてネトフリでも観ながら、Slackとかで華麗にやりとりしてるんだとしたら、僕は付箋がハリネズミのようになった資料を抱えて(昔ながら)、原稿整理しつつムック本のリード文をひたすらテキストエディタに打ち込み続けてる。

どう見てもカッコいい感じはしない。まあでも、それが僕にとってのライターのリアルだ。そうしたいわけでもなく、そうなってしまうもの。

たぶん、あれなんだろうな。「ライターやってる→カッコいい」って概念としてなんだろう。

これは何の確証もないふわっとした推察だけど、○○がカッコいいとか、反対に○○があんまりイケてないとかって、昔からある話。ただ、その解像度が以前より粗くなってる気がする。

なんだろう。ライターに限らず、いろんな仕事の断片は昔より見聞きすることが増えた。ソーシャルな世界を開いてると、自分と違う世界の人たちのあれこれもたくさん流れて来る。

そういうのにずっと接してるうちに、なんとなくこういうものという「自分にとっての概念」が生成されてくるのだ。

しかも、目立つ断片、ライターとかだと「こんなとこで取材しました!」「あの○○さんにインタビュー」「この記事とか本がランキング上位」みたいなのがどうしても飛び込んでくるし、露出量も多い。

それが悪いわけじゃない。いまのライターには企画力(この言葉も勘違いされがちだけど)や拡散力、この人の書いたものなら読むかみたいなマインドシェア構築も必要だから。

すると、そういう断片を寄せ詰めた粗いけど「カッコいい」イメージが出来上がる。

よく考えたら、身の回りの情報の総量としては爆発が爆発するぐらい増えてて、本当だったらもっと「概念」とか「イメージ」の解像度が上がっていてもおかしくない。

なのに情報は増えても、そうはならずに「ライターやってるんですか? カッコいいですね」になってるのがふしぎ。

便利な時代になって「見せたい自分」を個人がある程度コントロールできるようになったからかもしれないし、情報がもう多すぎるので自分に摂取するときは粗くしておかないとしんどいからかもしれない。

ただ、そんな中でもnoteで流れて来るものは、どちらかというと断片的ではなく、まるっとそのままだったり、全体像プラスすごく細かいところまで拡大されてたりする。その分、重いのもある。

だけど、そこからは単純な「カッコいい」とかどうとかではない、もっと根源的で本質的な仕事やその人の世界が立ち上がってくる。個人的に、そういう世界で接するものに対して親密な気持ちになる。

やってる仕事、関わってる世界は違っても、どこかで通じるものがある感じ。その状態を言い表す言葉って何だろう。そのうち誰かのnoteで見つけられそうな気がするのだけど。

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村暮らしのライター/エディター Editing and Book Writing/人とことばと土を耕して生きてます。東京⇄信州。noteでは大事じゃないけど大事なことを。何をしてるかより「なぜしてるか」の深い話を聞いて書くひと→ https://fumigura.com/

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