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どこでもないドア

地球上から「旅」が消えて数年になる。

パッとしない近未来小説の書き出しみたいだけど、リアルワールドの話。ごく一部の諸事情のある人を除けば、ほとんどの国への旅は許されなくなってる。

国内だったら――というのも、なかなか現実的にそういうわけにはいかない。事実と空気の両方の面で。

だけど、ふと思うのは、本当はもう少し前から、少しずつ旅は消え始めていたんじゃないかということ。

国内の旅は、乗り物に乗ってる時間のほとんどが、ただの「移動」になってる。

新幹線や高速バスなんて誰も車窓を見ない。スマホをずっと弄り続けるか眠るだけの時間。途中で名前も知らない町に降り立って、ストレンジャーな時間を味わったりもしないし、本を読んでるあいだにうっかり降りたかった駅を過ぎてしまったりもしない。

ただの移動ならそりゃ短いほうがいい。楽だし生産的。移動はとくに直接的には何も生み出さないから。

これまで3時間かかってたものが1時間で行ける。そっちのほうがいいと、だいたいの人が考える。

なんなら瞬間移動。どこでもドアのように。でもほんとに瞬間移動できたら、みんな旅したくなるのだろうか。

このドアを開けたら、いつでも好きなときにどこでも瞬間的に行けてしまう。何回かはそうやって楽しむんだろうなと思う。

だけど、飽きる。他の人はどうなのかわからないけど、僕は飽きる自信ある。ドアを開けたらもう現地という体験が、最初はおもしろくても、毎回そうだったらなんかおもしろくない。

いやいや、世界中どこでもドア開け放題で行き放題なんだよ? そんなの最高でしかないと思う人のほうが多いんだろうか。多いんだろうな。こんなふうになったいまとなっては余計に。

いつでも行けるは、いつでもしないと同義。いつでも行ける条件があって、結局いつでも行かないままなくなってしまった場所なんていくつもあるし。

そのうち瞬間移動すら面倒くさいので「行ったことにできる」ようにすらなるかもしれない。

「旅」が脳の中にデータで直接送り込まれるのだ。素晴らしい未来。

まあでも、それに近いことはもう手のひらの中にあるような気もするけど。