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文章の後ろ姿までプロかどうかの話

人のエネルギーってふしぎだなと思う。直線距離で12,000km離れた時空を超えて、何か伝わってくることもあるから。

何が何に反応してどうなるのかわからないけど(そういう研究分野もあるんだろうな)たしかに感じた。

ワダシノブさんがつぶやいてるのを見て、ああそうだったと思ったのだ。

フロリダのハードロック・スタジアムで開催された今年のNFL優勝決定戦、スーパーボウルのハーフタイムショー。

アメフトを追っかけてはいないのだけど、このハーフタイムショーだけは観てしまう。なぜだろう。いろんな思想だとかメッセージ性は置いておいて、単純に壮大なエンターテインメントとして呑み込まれそうになる。

ややこしいことは考えず、あほになって観れるのだ(言い方)。

今年、2020年のジェニファー・ロペスシャキーラのパフォーマンスもすごかった。

ふたりの毛穴から何かまぶしすぎる光の粉が放出されて、その光を見た人間はひとり残らずマイアミの夜空に吸い取られる。細胞レベルで踊り続けた人間だけが再び地上に舞い降りることができるのだ。

というわけのわからないことを思ってしまうぐらい、ふたりがつくり出す最上級な空気。ああ、こういうのが本物の魅せるパフォーマンスだよなと思う。

ふたりが発してるエネルギーに圧倒される。本当の意味でセクシーで美しくて。

あと、たぶん男性の僕が言うとセクハラ警察に捕まってしまうかもしれないからあれだけど、JLOもシャキーラも健全なエロスをまとってる。

エロスとタナトスが真剣にぶつかりあったら、こんなステージになるのかもしれない。

セクシーだけどいやらしさは微塵もない。その場だけでつくったものじゃないからだ。なんていうか、生物としての存在感レベルで健全にエロスがある。美しい……。

日本のよくわからない基準で言ったら、もっと細くないと美しいとか言われないのかもしれないけど、その美しさには強さがない。

生物として強くて美しいものは観ていてエネルギーが伝わってくる。

同時に、あたり前だけどふたりはプロなのが伝わってくる。世界中の注目が集まるステージと釣り合うレベルのところで「自分」を魅せなければ位相がおかしなことになってしまう。

ショーが終わった瞬間の立ち姿は尊いぐらいだった。後ろ姿もプロ。

たまに、日本のステージで、終わった瞬間に「緊張したー」とか口にしながら泣きそうに逃げて去っていく「プロ」のパフォーマーをみんな微笑ましく拍手してるのがあるけれど、全然、次元が違う。

ふと、自分は文章の後ろ姿までちゃんとプロだろうか、と自問したくなった。