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noteに救われた土

どうやって還そうかな。

ずっと考えてる。今回の入院でほんとに思いがけないほど、たくさんの人からたくさんのものを受け取った。

いただいたかたちは、それぞれ違うけれど、みんなnoteで出会ってnoteで繋がってる人。

おかげで、僕の「土」や「身体」は養分をもらってなんとか枯れずに済んでいる。

ひとまず、目の前の危機は回避できたねと先生から言われて退院できて、ようやく本来の疾患の治療に向き合ってる日常。

ゴールなんてよくわからないし、ほんとにあるのかどうかも見えない。でも、少なくとも進んでいくことはできる。

それは家族はもちろんnote仲間(ほんと、なんて呼ぶのがしっくりくるんだろ)に、前に進む力をもらえたからだ。

もし、そうじゃなければ、ほんとに「独り」で闘わないといけなかった。

もともと孤独は嫌いじゃないけれど、それは平和な世界のことで、何かと闘う(好きなことばではないけど)には仲間の存在を感じられたほうがやっぱりいい。

いつもはしないのだけど、今回はnoteの仲間が僕に向けて書いてくれた「ことば」をスマホのメモにクリッピングした。お守りというのとも違う。なんだろう。人間としてのお守り。

たくさんの「人間」のことばを何度も反芻しながら、どう還していくかを考える。

お礼をとか、そういうのともちょっと違う。「返す」ではない「還す」。循環していく何か。

畑の土でもそうだけど、同じところにだけ同じ養分を蓄めこむとかえってバランスが崩れてうまく育たない。

土の中の話になると深くなるので、さらっとだけど、土の中の微生物(菌根菌とか)は、お互いに必要な栄養素とか自然の抗生物質(医学的な意味とは少し違うけど)なんかを融通し合う。

ある植物でAという要素が不足してると、離れた場所の植物Cがその要素を土の中の微生物ネットワークでAに送る。もし、植物Cが何か不足すれば今度は逆にAからというように。

それがお互いに共生できる方法と知ってるのだ。賢い。

人間もきっと同じ。

だから、今度は僕がどうやってどんなふうに還していくか。

そんなことを考えるのも、これからの「死ぬまで生きる」の大切でクリエイティブなテーマ。


一方ではみんなで土とことばの畑を耕したり、草を刈ったり、苗を世話したり、お茶飲んだり。作業はできないけど差し入れしてくれる人がいたり。

入院したり療養したりの中で、僕がひとりでできないことにみんなの気持ちと力が合わさって、こんな文庫本が実りそうになってる。


◎寄せ文庫『ふみぐら小品』


なんだろう。ひと言で言うと「すごい」。僕もまだ全体の見本は見てないけど、いまの段階でも「小品の蕾」の生命力みたいなのが伝わってくる。みんなが植えた読む蕾。

ふみぐら作品が54編に、それぞれの感想文が58本(感想文というより、これも小品)と6人の絵師の挿絵。全部で272ページ。書籍で言えば16折で17台もある!まじか。

実際、どれぐらいの厚さなんだろうと思って、手元の本棚から見当をつけたらアゴタ・クリストフの『悪童日記』(ハヤカワ文庫)とほぼ同じ。なんてことだ。

しかも、いろんな分野のプロが総勢9名もスタッフで関わって制作してるという。全方位に足を向けて寝れないので、最近は脚を干し草に隠して寝てます。ヤギの技。

文庫本のカバー袖の紹介文 サトウカエデさん

“もっとみんなで「わからない」を眺めたり愛でたりできたらいいのに”
雨の日比谷公園の小人、泡だらけのライオン、雨どいに詰まる猫。日常の破れ目をそっと覗いて見えるものたち――そこにあるのは、小さな、ささやかだけれど大事なこと。ふかふかの土にヤギが食む草が揺れる、複雑と単純の向こう側にある景色。
人とことばと土を耕して生きる「ふみぐらさん」こと、Yunde Ippei氏の54編の随筆・小説に、6人のイラストレーターによる挿絵と58人から寄せられた言葉を添えて。凪のときも嵐のときも風に漂うことばに触れる、ここだけの一冊。

僕が勧めるのもおかしいのだけど、読んでみたい方はこちらで7月18日(日)まで予約受付中になってます。

◎BOOTHサイト