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未来から過去に旅した話

東京から大阪まで10時間以上かけて電車で移動したことが何度かある。

有り余る富ではなく、有り余る時間。もちろん仕事ではなく、個人的な移動でだ。青春18きっぷユーザーならべつになんていうこともないことだけど、僕がしたかったのは「乗り鉄」ではなく、長時間移動しながら考える体験だ。

電車にずっと揺られて移り行く車窓を楽しむというより、思考するための旅。旅すると思考が捗る。

まあ、いつもだいたい何か乗り物に乗りながら考えごとはしてるので、それと何が違うのか自分でもわかるようでわからない。

それでも、これからたっぷり考えるという目的を持って東京駅のホームに立つのは、ちょっと非日常な気分になる。いつもなら新幹線に乗って数時間輸送されるだけなので、10時間以上も使うのは贅沢と言えば贅沢だ。

1、2時間程度の移動なら出発駅にいたときの自分と到着駅の自分が「きちんとしたつながりを持った自分」であるかどうかなんて疑いの余地もない。そのままの自分を持って次の目的地に向かうことができる。

取材とか仕事での移動だと逆にそうでないと困る。東京を出たときの自分と大阪に着いた自分のつながりが失われてたら、おもしろそうだけど仕事には支障が出てしまうだろう。


ところが、10時間以上も電車に揺られていると(途中で何度が乗り継ぎでホームに降り立つ時間はあるけど)、何種類もの時間が僕の周りを巡るようになる。時間の種類とかまたわけのわからないこと言ってるけど、新幹線みたいにフラットでモノラルな時間じゃないのだ。

なんていうのか、同時に複数の時間を移動しているような気がしてくる。極端に言えば、出発したときの僕と到着したときの僕はまったく別の存在ということだってあり得る。


いつもとは違う時間を旅しながら、僕は時間の多様性というかとりとめのなさについて考えている。車窓を流れる夏雲を見ながら。

電車が突き進んでいる時間と、電車の中の僕が意識することで立ち上がってくる時間、そして僕の意識とは無関係にただある時間。他にももっとありそうだ。それぞれの時間が僕の周りでおしゃべりをしている。


僕は、そのどの時間の存在も同時に感じることができる。そんなの普段はないことだ。どれかひとつの時間に拘束されることなく、いろんな異なる時間を「僕のもの」にすることができるのだ。

いろんな時間に囲まれてる自分を感じることができるのは、すごく幸せな気分だ。僕にとっては、ちょっとした発見だった。まさにユリーカ! 

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時間の種類や流れがいろいろあるのは僕が勝手に言ってる話でもなく、時間は過去から現在を通って未来へ流れているという物理的認識は、実は絶対的なものではないらしい。量子の世界では「未来が現在、過去に影響を与える」ことも起こり得る。逆因果だ。

ふつうに考えれば、東京から大阪への移動手段はいくらもあって、10時間以上も在来線の電車で移動するなんて無駄なことだ。なんだけど、なぜかそうしたくなるときがある。新幹線でもあえて全部の駅にに停まる「こだま」に乗ってみたり。

そういうときは、多様性の時間を移動した未来の自分が、電車に乗る現在の自分、乗ろうと思った過去の自分に影響を与えてるのかもしれない。

そう考えると、たまにあえて長い時間をかけていつもはしない「時間の多様性」を感じながら旅するのもおもしろいんじゃないのかな。まあ、そんなことしてみたい人は少なそうだけど。