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職業はどんどん「生き方」になっていく

雨が続くと、ちゃんとしたパンが食べたくなる。
お手軽な軽いふわっふわのパンではなく、パン宇宙と呼びたくなる重力を感じられるしっかりしたパンが。

べつに雨が降ってなくてもちゃんとしたパンは食べたくなるのだけど、雨の日のほうが「そういう気分」は強い。イースト菌で発酵させたパンも食べるけど、雨の日は野生酵母とか自家製酵母で発酵させてつくられたパンがいい。

まあ、そんなのは個人差の極みで、僕の場合はだけど。

今日もミーティングのあとで、そんな気分に引っ張られてちょっとした用事もあって山麓のとあるパン屋さんにパンを買いに行った。

そのパン屋さんは妻が間接的に知っていたのだけど、なかなかこれまで買いに行く機会がなかったのだ。うちから40分ぐらいなので、いつでも「行こうと思えば」行けるし、だからって「ちょっと近所のコンビニに」という気軽さはない。

そういう存在の店とか場所が多すぎるので、今年は(もう1年が半分以上過ぎてるけど)積極的に行く所存です。

で、端的に言えば「なんだこれ!」という旨さだった。控えめに言っても、ちゃんと一つひとつのパンがおいしい。

店主がそれぞれどういうパンかを教えてくれたのだけど、その話し方がなんだか、自分のところのパンオーケストラの楽器の特色を説明するみたいだなと思った。

実際、食べてみてそれぞれのパンの味に色や音があるというか。音色だ。そう、パンに音色がある。「ごまパン」は、地元産胡麻にしか出せない胡麻の深くて香ばしすぎる音色だし、自家製のピールを使ったパンは口の中で極上のフルートが響き渡る。

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いや、こんなふうに書くとそんなにうまくない食レポになってしまうのだけど、個人の自家製酵母を使ったパン屋さんで、これだけパンそれぞれの味にはっきりした音色の違いを出し、そのパンたちをまとめあげるのって相当大変だし、パンづくりの腕やパンへの愛がないとできない。

もっと言えば、「これ、一つひとつのパン、相当労力(原価)かけてる」というのがわかるのだ。だからといって、ここはどこの貴族のお店かなという値段になってないというかしてない。はっきり言えば「え、この値段でいいの?」と思ってしまう。

もちろん、そこはお客がどうこう思う部分じゃない。でも、きっと店主の譲れない部分なんだろうなというのはすごく伝わってくるのだ。自分が食べたいちゃんとしたパンでありつつ、みんなが買えるパン。

もし、それをしないなら自分がやらなくてもいい。そんな感じがする。それはもう「生き方」だ。

パン屋さんに限らず、どんな職業でもそんなの甘いとか青いとかいろんな正義がとやかく言う。でも、だからなんだろう。

それがその人の生き方なのだ。職業としてはすごく儲からなくてもその生き方をどうしても選んでしまう人、そっちが自分は好きだからやってる人を誰も否定なんてできない。そういう人のつくり出すものだからコアなファンになる人もいる。

思うのだけど、ちょっと前から、そしてこの先も「職業はどんどん生き方になってく」気がする。いろんな意味で。

ライターだってそうだ。田中泰延さんのちょっと前の記事のこのくだりが僕は好きだ。

今どき書くってほとんど儲からないから、仕事というより生き方だと思うんですよ。暗い部屋で一人でカタカタとキーボード叩いて、ああでもないこうでもないを繰り返す。朝になって、なんとか原稿を納めて、また次の原稿をやる、と。で、大事なのは書くために調べること。とにかく調べる。一次資料にあたる。


つい、こんなのでいいのか、もっとうまくやれるんじゃないのかとか考えてしまうけど、結局は生き方だからいいのだ。それで、ちゃんとしたパンと出会えるなら。