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軽トラ先輩との別れ

これもずっと書けなかった。

3月終わりの大雪でうちの果樹たちが倒木でやられたのだけど、実はあのとき、大事な相棒だった軽トラも倒木の下敷きになった。

軽トラって言ってわからない人もいるかもしれない。軽トラックのこと。田舎でよく見かける白い(白じゃないのもあるけど圧倒的に白が多い)軽自動車カテゴリの小さなトラック。

軽と分類されてても実は超タフにつくられてるので(軽トラの設計思想っておもしろいんだけどそれはまた別の話)、人によっては最強の乗り物って呼ぶ人もいる。

あと、ふつうに走っていておもしろい。乗り心地とか快適性なんて放り出して、なんていうか剥き出しの走行感が味わえる。あ、マニュアル車の免許持ってるからだけど。本来、そういう楽しみ方するものではないんだけどね。

東京住みのときはまさか自分が軽トラに乗る人生なんて想像もしてなかったけど、こっちの暮らしにはめちゃくちゃ必要になったので手に入れたのが約4年前。

軽トラだから何でもいいわけでなく、四輪駆動(4WD)で、あと個人的な好みでHondaのアクティトラック一択だった。

車というか乗り物好きな人なら通じるかもしれないけど、Honda独特の走りの伸びがあってしかもミッドシップっぽいレイアウトで、他にないリアルタイム4WDで。ごめん。誰もついて来ない話しだ。

走行距離も年式のわりには全然少なくて、いろいろヘタリもない。一度タイミングベルトの調整をしたぐらい。

年式はそれなりに経ってたけど、その分安定してるというかなんていうか、うん。いい奴だったんだ。とりあえずこいつがあれば何とかなるっていう謎の安心感。僕らよりいろいろベテランな気がして「軽トラ先輩」と呼んでた。

まだまだずっと相棒として一緒に山に入ったり、遠出はしないけど乗り続けるはずだった。

それが、まさか。

(車が壊れた画像とか苦手な人はここでUターンしてください)








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もし、その瞬間、運転席に乗ってて出かけようとかしてたらたぶん息してなかったやつ。天井は大きく凹み、枝がボディを貫通して刺さってる……。相当な衝撃だったんだと思う。

見に来てもらった自動車業者さんも「倒木は珍しくないけど、こんなのはあまり見たことない」と言われて何も言えなかった。

こういう考え方はどうなのかと思うけど、いろんなものを軽トラ先輩が引き受けてくれたのかもしれない。

運転席に割れたフロントガラスが飛び散り、インパネは無残に剥がれて計器も飛び出してるのに、奇跡的にエンジンは掛かったのでなんとか自走(敷地内だから)させてキャリアカーで引き取ってもらうことができた。

それが軽トラ先輩の最後の仕事だった。

喪失感。そんなすごい趣味の車ってわけでもないのに、相棒を突然失ったこの気持ちって何なんだろうって自分でもよくわからない。

たぶん「軽トラ」っていう独特の存在感がそんな気持ちにさせたんだろう。

畑に必要なものや薪を運んだり、生活道具であり、仕事道具であり、たいていの道でも任せられて泥汚れすら似合ってしまう存在。

もしかしたら、僕はそんな軽トラ先輩に少し甘えてたのかもしれない。何でも黙って応えてくれてたことに。

あれから少し時間が経って、軽トラ先輩の後輩がうちにやって来ることになった。自分の中に痛みはまだ少し残ってるけど、リアルに村の生活に軽トラは必要だから。

軽トラ先輩と過ごした4年の間に、僕も少しは成長させてもらった。里山という環境で生きることを仕事にするために必要なものをいくらかは身に付けさせてもらった。と思う。

これから軽トラ先輩の後輩との日々がまた新しくはじまる。今度は自分が何を一緒につくれるか。心の中で先輩に報告できればいいなと思ってる