見出し画像

選択肢で迷ったら「それをしないのはなぜか?」で考える

「何を選べばいいかわからない」「自分がどうしたいかがわからない」

青い悩みに思えるけど、案外、そこそこの大人も悩むことがあります。

自分が何を選びたいか、どうしたいかなのに「わからない」ってどういうことなのか。不思議といえば不思議ですよね。

きょうは何を食べたいのかわからないぐらいの悩みなら、まあ思いついた適当でもいいんだけど、仕事とか個人的なことでも「この先のこと」に関わってくる悩みになるとそういうわけにもいかない。

じゃあ、どうしたらいいのか。

そこで、こんなふうに考えてみるのはどうでしょう。

自分が何かを決められなくなるのは、そこに「答えがない」からではなく、逆に「答えがありすぎる」からかもしれない。

『選択の科学』って、ありますよね。白熱教室でも有名なコロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授(社会心理学)が行った「ジャムの試供品テスト」が有名ですが。

「ジャムの試供品」も種類が多すぎると、逆に人は選べなくなって(選択が面倒だったり、合理的判断ができなくなって)購入する行動をしなくなる。
「決定回避の法則」とも呼ばれてます。

それと同じで、自分が何かを決められないときは無意識レベルも含めて「あれもこれも」可能性を検討していて、どれも選べない状態になってることが結構ある。

もちろん「時間がなさすぎて」とか「疲れすぎていて」という物理的、身体的要因もあります。でも、時間もあって健康で気持ち的にもフラットなのに、なぜか決められないのは、どれもが「アリ」なような気がして決められないんですよね。

なので、僕がやってる方法は無数の選択肢(可能性)のどれを選ぶか、何をするかを考えるのではなくて「それをしないのはなぜか?」から考えること。

        ***

たとえば、仕事で新しい案件だとか役割のオファーが来たとき。自分のキャパ的には結構ギリで、それを受けるとしたら自分の何かを削らないといけない。そういうのありませんか?

このとき「何を削るかの可能性(睡眠時間、ルーティン的な業務、個人的な活動etc.)」で考え始めると「どれも大事だし……」と決められない。

「それをしないのはなぜか?」に切り替えて「睡眠時間を削らないのはなぜか?」を考えると「自分は6時間がパフォーマンス的にマストだから」とか、わりと「答え」が出やすくなるわけです。

そうやって、いくつかの選択肢や可能性について「それをしないのはなぜか?」の問いに自分で答えてみると、一つぐらい「いや、それはしてもいいな」というのが出てくる。

「ルーティン的な業務を削らないのはなぜか?」は、自分でやらなくちゃと思ってるだけ、あるいは誰かにお願いするのが面倒なだけで「絶対に削りたくないわけじゃない」とか。

だったら、それは「してもいい」ので前に進めます。

という僕も、選択肢って苦手なんです。どれも選べない。むしろ選択肢がない人生のほうが理想。自分はこれをすればいいんだ、これがあればいいんだっていつでもストンと思えるような。

なので、どうしても目の前に選択肢が出てきたら「それをしないのはなぜか?」を考える消極的で積極的な方法も試してみてください。逆からアプローチするだけなのに、案外すっきり答えが出せますよ。