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正確さと精度のどっちを目指すか

「いまいち正確さに欠けるよね」
「もうちょっと精度が高いといいんだけど」

どっちの表現もなんとなく使うことがあると思う。僕も、原稿以外では無意識に使ってるかもしれない。

だけど「正確である」というのと「精度が高い」は、じつは別物の言葉なのだ。混同しがちだけど。

この違いは、よく「標的と矢」の関係で表される。矢を標的に射る。当たった矢が標的の中心に近いほど点数が高い。

その場合「正確かつ精度が高く」矢を射ることができれば、つまりすべての矢が的の中心に集まれば高得点だけど、なかなかそうはならない。多く場合は矢がばらける。

このとき、的の中心を取り囲むようにだいたいの矢が射られれば「精度」は低いけれど「正確」な腕を持っていると言える。

そうではなく、的の中心から外れたところにほとんどの矢が集中していると、「精度」は高いけれど「正確」に射れてるとは言えないのだ。

で、思ったのは、これって「生き方」だよなぁということ。

たぶん、すごくスケールの大きなマクロの世界とか超精密なミクロの世界の人は「正確さも高くて精度も高い」のを求められるのだと思う。

でもまあ、僕なんかの生きてるレイヤーではそこまでは求められない(と思う)。

だからって、まるで的にかすりともせず、どこに矢が飛んでいくかもわからないような「不正確で低精度」なのも求められてない。というか、それではたぶん仕事ができずに自分も相手も困る。

そうなると「精度は低いけれど、まあまあ正確」なのを目指すか「精度は高いけれど、正確ではない」を目指すかの2択だ。

        ***

自分はどっちを求めてるのだろう。生きてておもしろそうなのは後者のほうなんだけどな。

社会的には「正解」でもなく「正確」じゃないところで、すごく精度の高い何かを生み出したりしてる人って、やっぱり何か惹かれるものがあるし。

ものかきとしては、そういう人もいるんだよをやっぱり伝えたい。

べつに、そっちが正義というのではなく「正解でも正確でもないけどすごいもの」も世の中にはある。
ただ、そのことを誰かが感じられるだけでいいんだ。