バスとおばけ。

僕は中学高校と遠いところで通っていた。往復3〜4時間かかる。全ての行程はバス。田舎というのは路線バスが発達していて、こんなところにもバスが、みたいなところにも届いていることが多い。特に長崎は急な坂道が多く、自動車運転ができればよいが、できない人はバスが主な交通手段だ。

県外の人に聞いてみるとよく、長崎のイメージはチンチン電車だと言われる。確かにそうだ。長崎市内中心部はくまなく走っているし安い。路線を乗り換えても目的地まで100円だった。(今は120円らしい。それでも破格だ。頑張ってる。)

しかし、それはあくまで中心部の話。そう都会の人はチンチン電車で生きていける。どこにいくのも電車だ。観光客で混むけれど、あいつらほんとに頻繁に来るから大丈夫。前からも後ろからも乗れるし、信号だって優先的に思える。都会の人へのやっかみだ。

そう。あいつらチンチン電車は坂道が登れない。緩めの坂なら登れるのだろう、外国の電車なら登れるのかもしれない。海外ドラマで坂道を登るチンチン電車を見たことがあるが、そんな緩い坂じゃない。長崎は坂道で有名だが、坂道というか山道がほとんどだ。長崎に初めて来た人々は山の上の方までびっちりと綺麗に敷き詰められた家々に驚くそうだ。僕の家もほぼ山頂だった。山頂だけど、駅からは他の山が邪魔して見えない。それくらい長崎は山がちの町なのだ。

やっかみが長くなってしまったが、そんな山の民のために長崎のバスはとても頑張ってくれる。うちのような田舎にもバスを通してくれて、おかげで高校にも始業前に通えた。始発で行くか、少し山を下ってもう一つ早いバスでいくか。始発は6:42だった。毎日が戦争だったので、今も覚えている。最寄りのバス停はバス車庫になっているところで、本当に家の目の前だ。上からバスが見えると、必死に乗ります!って顔しながら走る。そうするとバス停で少し待機してくれていた。ホスピタリティの塊だった。

帰りは確か終バスか終バスの一つ前。中学の時なんかはもう寝ても寝ても眠い時期なもんだから、いつも死んだように眠っていた。寝れるように乗り換えを出来るだけ始発に近いバス停にして、前の方に座って寝ていた。近所の人が乗っていたら最寄りで起こしてくれる可能性が高いから。それくらい必死に寝ていた。

それでもたまに寝坊してしまう。終点までは3バス停分なので、今考えればそこまで離れてはいないのだけれど、何せ中学生。お金をあまり持っていない。もしも寝過ごした時のために少しお金を持っているようにしたけど、ないこともあった。

ある日寝坊して終点で起こされたとき、僕は財布すら持っていなかった。この日に限って忘れたのだ。途方にくれていると、運転手さんが、いいから大丈夫ばいと言ってくれた。神に見えた。

さて、歩いて帰るかと思っていると、

「にいちゃん、どこのバス停で降りるとやったと?」

バス車庫のところと伝えると、そこまでどうせ帰るから乗っていけ。と。神だ、本物の神だ。

終バスだと運転手さんはバス車庫にバスを戻して、そこに停めてある自分の車で帰るそう。回送バスに揺られて、送ってもらい、しまいにはバス停でもない家の前で降ろしてくれた。

それから数回同じようなことがあった。運転手さんの中でも有名だったそうだ。最寄りで起こしてくれる人もいた。有難い話だ。

そんなある日、地元の友達とバスで会って久々に話していると、おばけの話になった。ホラーとか本当に無理なタイプなので、話を逸らそうとしたら、この町に出るというのだ。怖すぎる。ただでさえ夜は街灯も少なくて真っ暗だ。山ばっかりだし、人通りも少ない。危ない。危険だ。どこに出るのだときくと、

「最近ね、夜回送バスに人が乗ってるんやって。学ランきた男の子が、回送のはずのバスに乗ってるとこ見た人がたくさんいるんだって。しかもめっちゃこっち見て笑うらしかよ。」

絶句した。そうだ。おばけは僕だった。もしかしたら、そういうおばけが本当にいたのかもしれない。でも、噂の時期と、特徴が似すぎている。送ってもらうの嬉しくてニコニコ外を見ていたことにも心当たりがある。

恥ずかしさで、僕は友達に、「おばけもバスで移動しよっとね。」としか言えなかった。それから僕は寝過ごさないようになった。

#エッセイ #長崎 #ホラー

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