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悩ましきローマの夏 2024

 8月になり、ローマの街の中がすっと静かになった。地元の人々は夏休みで海へ山へと出かけてしまい、レストランや個人商店などはシャッターを下ろし、「何日から何日までお休み」と貼り紙がぺたり。スーパーなどが長期で閉まることはないのはありがたく、生活には支障はないけれど、職場の門番さんもお休みで代わりの人が来ていたり。
 観光名所はもちろん相変わらずたくさんの人で賑わっているけれど、それでも、連日の猛暑報道が効いているのか、先月までに比べると、心なしか少し減っているような気もする。

どこもかしこも工事現場

 ローマは今、来年の「聖年」へ向けて、あちらもこちらも色々なところで工事をしている。「聖年(Giubleo)」はバチカンの行事で、25年に一度、サン・ピエトロ大聖堂の、普段は閉じられている「聖なる扉」を開放、信者はそこを通ることで、特別に赦しを与えられるとするもの。ローマ市内にあるバチカン直轄の大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラも同様に聖なる扉が開放され、「巡礼者」らは当然、その、いわゆるローマの4大聖堂を全て回ることを目指す。
 1300年に当時の教皇ボニファティウス8世が始めた、本来はカトリック信者の巡礼を促すものとはいえ、元々観光名所の、普段は開いていない扉を通過できる、となれば、信者でなくても興味を持つ人がいるのも当然で、ローマ市では、来年一年間で3000万人以上の来訪者を見込んでいるらしい。それに合わせ、ローマは昨年あたりから、道路や地下鉄の整備を行なっている。
 ちょっと掘れば何かしら遺跡の出てきてしまうローマでは、地下鉄があまり発達しておらず、長い間A線、B線の2本しかなかった。今世紀に入ってからようやく、C線の一部が開通したものの、観光地の集中する中心街に届くのはまだまだ、延々と工事が続いている。新しい路線なんて、どうせ来年に間に合うわけないに決まってる、ときっと誰しも思っているものの、既存の路線も「利便性向上のため」とか何とかいう理由で、昨年夏からしばしば、運休や一部駅の閉鎖、時間短縮が続いているのには、正直閉口している。
 既にオーバーツーリズムで観光客がごった返す中、スペイン広場に近いスパーニャ駅、バチカンに近いオッタヴィアーノ駅の当面使用停止が発表された時には、何かの挑戦かとさえ思ったのだが、先月になって、8月10日から25日まで、この両駅を含む、地下鉄A線のローマ・テルミニ駅から西側全部の全面運休となることが発表され、またもやビックリ。一応、代替のバスが運行されることになってはいるものの、もちろんより時間もかかるし、本数も限界がある。
 一体ぜんたい、いつ終わるのだろう、それにしても工事が終わった暁には、きっと著しく快適になっているのだろうか・・・と淡い期待もしつつ、同時に、これまで地下に眠っていた遺跡群がどうなるのか、気になっている。

サンタンジェロ城から、バチカン方向の工事現場

 サンタンジェロ城からバチカンのサン・ピエトロ広場へと繋がるエリアが、全面的に歩行者天国になると計画が発表されたのは昨年のことだった。それまでは、バスの始発停留所を含む、車通りの多かった広めの道路が突然封鎖された。車道は地下を通すというのでびっくり、そんな大工事が、このイタリアで、ローマで、1年ちょっとで間に合うはずないし・・・!
 そして、案の定、というのか、道路敷設のために掘り始めたこのテヴェレ川西岸エリアで、次々と興味深い遺跡が発見されている。
 まず、最初にスポットが当たったのは、紀元後2世紀後半の洗濯場(fullonica)がかなり完全な状態で発見されたこと。個人の洗濯場というよりは、大規模な洗濯工場とも言うべきもので、洗い桶だの濯ぎ桶などがずらりと並んだ不思議な姿が目を引いた。

画像はバチカンニュース・サイトより拝借


 続けて、紀元後1世紀、カリギュラ帝(在位 紀元後31-41年)の、テヴェレ川に面した庭園の柱廊が発見された。カリギュラ帝を示す、C(ai) Caesaris Aug(usti) Gemaniciとはっきり銘の入った水道管も見つかっており、実際には皇帝の母親の邸宅だったと推察されている。

画像はバチカンニュース・サイトより


 また、1世紀前半に屋根の装飾として使用されていた紋章模様入りのテラコッタも見つかっているが、これは後世に下水施設をカバーするのに使用されていたらしい。

画像はバチカンニュース・サイトより

 かつての、何でも見つかれば掘り出し、持ち出して博物館で保存・展示するのが当たり前だった時代から、20世紀以降は、遺跡など発掘されたものは、必要とされる保護・救済措置をとりつつ、できる限りその場に残すのが原則とされている。そこで、可能であれば、見学もできるようにする。場合によっては、一定の調査を終えたのちに、さらに将来への保存のために、埋め戻すこともあるだろう。
 ところが今回は、道路敷設には遺跡をそのまま残すわけにはいかないらしく、記録をとった後は、せっせと解体し、搬出されてしまっているらしい。もちろん、ローマ市の考古学監督局の管理の下に行われていることとはいえ、一古代ローマファンとして、文化財保護を学んだ身としてチクチクと胸が痛む。

 現代の生活をより快適に保つことと、過去の歴史を全て保つことは、残念ながら完全に両立させるのは極めて難しい。どこで折り合いをつけるのか、工事を急ぐあまり取り返しのつかないことにならないよう願うばかり。

 ちなみに、現在工事中の地下鉄A線オッタヴィアーノ駅には、高橋秀さんのモザイク画がある。まさかまさか、なくなってしまったりしないよね・・・と、これも祈るような気持ちで工事が終わるのを待っている。

オッタヴィアーノ駅、高橋秀さんのモザイク

11 ago 2024

#ローマ #ローマの夏 #工事中 #ローマの地下鉄 #ローマ遺跡 #2025聖年 #モザイク #遺跡めぐり #イタリア生活  #エッセイ 


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