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「サルデーニャの蜜蜂」、内田洋子さんのイタリア


旅に出たい。

 思いもよらなかった理由で、私たちの行動に、移動に制限がかけられてから、かれこれ半年になる。イタリアも日本も、アメリカもアフリカもアジアも、ヨーロッパもオセアニアも、世界中の人がみんな一斉に、足止めを食らっている。

 リモートの会議や授業に慣れ、オンラインで配信される初めてみるスタイルで音楽や舞台を楽しみ、はては画面越しの飲み会まで。と同時に、SNSには、世界中の絶景や観光地、ヴァーチャルでの美術館や展覧会訪問が溢れた。だが、主要な目的はほぼ果たせる会議や授業と異なり、美しすぎる画像や手探りの映像はやがて、ただ自分がそこにいないことを実感するだけだと気づく。匂いも熱さ冷たさも風も味も感じない、つまり、圧倒的な視覚と少しの聴覚の刺激だけでは全く、頭も心も満たされていないということを。

 ・・・毎朝、娘と婿が定位置にビーチパラソルを立て、太陽と真向かいになるようにサンベッドを並べる。老夫婦は午前遅くにゆっくりとやってきて、カルメラが白い厚地の布をサンベッドに掛ける。広げるときに、パリッと音が立ちそうなほど糊が利いている。洗濯石鹸の香りが隣の私のところまで漂ってくる。・・・(辛い味)
 ・・・ドアを開けると、足元からむせ返るような匂いが押し寄せた。花も実もない、膝の高さほどの草が茫々と生えているだけだ。一歩二歩と踏みつけるそばから、さらに青々とした匂いが勢いよく立ち上る。・・・(サルデーニャの蜜蜂)
・・・混んでいる。ドゥオーモを中心にしたミラノの円周をなぞる路線バスで、市内の要所を縫って走る。二両連結の長い車体を尺取虫のように伸び縮みさせながら、カーブの多い専用レーンを器用に走っていく。停留所ごとに、四、五か所のドアからは大勢が乗り降りする。北駅から乗る到着したての外国人とは別に、在住のヨーロッパ県外の外国人も乗っている。アラブにアフリカ、インド、南米、アジア・・・ (麝香)

 長らく、なかなか本が読めずにいた。読み始めても集中力がなくて前に進まない。それは実はこの本も同じだった。これまでなら、手にした途端に一気に、食い入るように読んでいたはずの内田洋子さんの、イタリアの人々を語るエッセイ。だが、いつもより時間をかけながら、ひとつひとつゆっくり飲み込むように読み進めるうちに、本の中の情景が浮かび、人々が立ち上がってきた。ただ見た目だけではない、匂いや湿った空気、レストランや街のざわめき、そして何かに気が付いてしまった時の、ざらりとした心の動きまで。

 また本を読もう、と思った。何か不安をかき消すつもりのようにスマホにしがみつき、ますます不安をあおるのをやめて。
 思ってもなかなかうまくいかない。今はうまくいかないことにがんじがらめだけれど、少しずつ、時間を見つけてまた本を読もう。出られない旅の代わりに。次の旅を思って。

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サルデーニャの蜜蜂
内田洋子・著
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388774

#イタリア #内田洋子 #エッセイ #サルデーニャの蜜蜂  

Fumie M. 08.28.2020


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