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⑥中学のときのつらかった記憶 その1

私が過去に嫌われていじめられた記憶を、いい加減消化(昇華)しろよと言われたような出来事があり、いい加減、解放してやらなきゃなと思って、ずっと心の奥底にしまい込んで来たつらかった記憶を書き始めて数日……。

左手人差し指の先をザクッとカッターで切りました😅

しばらくは血も止まらない感じで、無理やり指の根元にゴムを巻いて血を止めてから、絆創膏をぎゅうぎゅう巻きにして……。

それでも血が出てくるような状態で、意外にひどい怪我だったみたいです。

で、一週間以上経っても、指先に何か当たると痛い状態で……

私は元々がキーパンチャーなので、キーボードを打つのは得意なのですが、そもそもキーボードの見ずに、指の感覚だけで打つので、指が1本ダメになるともうパソコンが打てない状態になり……。

怪我って必然なんでね。

内心「やっぱりこのことに向き合って更新するのはしんどい」と、怪我をさせたんだろうなぁ……と苦笑い。

でも、やっと治ってきたので、今回・次回と中学時代のことを書こうとと思います。

哀しい中学校入学

私の行った地元の中学校は、3つの小学校がひとつの中学校に集まって、合計8クラスにもなる大所帯だった。

それだけ人数が居れば環境も変わるし、新しい友だちもできるだろうと楽しみにしていたのだが……

それも束の間……。

気づいたら
「あいつ、小学校で嫌われていたんだぜ」
という噂が流れていた。

それでもなんとなく友だちはできて、一人ぼっちではなかったような気がするけれど、

でも「好きな人同士でグループ作って」とか「好きな人と二人一組になって」というのはとても嫌いだったから、やっぱり浮いていたんだと思う。

中学校では、今でも忘れられないふたつの大きな出来事があった。

毎日、後ろの男子に椅子をガンガン蹴られた

今、思い出しても「あれってしんどかったな~」って思う、ひとつめの出来事は……

ほぼ毎日だったと思うのだけど、後ろに座っている男子に椅子をガンガン蹴られていたこと。

最初は「やめてよ」と言っていたけれど、そんな言葉も無視して蹴られていたので、私もいつしか黙り込んで我慢するようになってしまった。

「やめて」と嫌がっているほうが、周囲の人が笑うような気がして、黙って我慢しているのが一番得策だと思ったのだ。

それでも、日々、後ろからガンガン蹴られるのはとても辛かった。


先生が気づいてくれた

ある日……

担任の先生がその異変に気づいてくれた。

誰かが言ったのではなく、自然と先生の目に入ったんだと思う。

担任は音楽の女性の先生だったが、何事にもスッキリキッパリ知ている先生だった。

ある日……帰りの会か何かのときに先生が

「このクラスで、前の人の椅子を蹴ったりしている人がいるみたいだけど……」

というような、かなり直接的な言葉で、そういうことをやめるように注意をしてくれた。

もちろん、先生が注意してくれたことはとても嬉しかったんだけど、その反面

「また、先生に言いつけたって後で言われるからやめて……」
って心の中で叫んでもいた。

案の定、後で散々「言いつけやがって!」って言われたなぁ(苦笑)


そして、先生の居ないところではもっと強く蹴られるようになってしまった。

この攻撃がいつどのようにして止んだのか、もうまったく記憶にないのだけれど、多分、蹴っている奴が飽きたのか?
そんな感じで自然と終結したのだと思う。

にしても、今でも後ろからガンガンと蹴られた振動は身体が覚えている。

あぁいう記憶って、どうして忘れられないんだろうね。



次の記事にはもうひとつ、どうしても忘れられない出来事を書きたいと思います。

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