受験勉強の意味って…何?

どうも。第4回目の投稿は同志社大学一回生の山本新が担当します!

前回、森山穂高君が「教育学は、個人個人が『べき』論を持つことができる」と話していたので、僕の『べき』論を展開したい!

中学受験と大学受験を経験した僕は競争型社会にもう

うんざりしています

でも、その中でもまだ意味を見出したことがあります。
今回は

「受験勉強をする意味について」

お話ししようと思います。

僕は高校2年生の時から、

誰しもがスマホを持ち、調べればあらゆることが出てくる様になった現在において、与えられたことをこなす様な教育ではなくて、個性、創造力を持ち、自分で考えて行動できる様な人材が必要になる。

と考えていました。

なので、ひたすらインプットして演習する大学受験が本当に嫌いでした。特に世界史^_^

こんな制度。変えたかった。変えたかったけれども、
耐えるしかなかった。

高校時代の僕はなんとか受験勉強に意味を見出そうとしました。そうしないと勉強する動機にならなかったから

各科目考えた勉強する意味がいくつかあるのですが、今回はその中から真っ当なもの一つ、と変なもの一つの計2つを紹介します。

それは

1 計画的に物事のを進めれるようになる
2 問題意識を持つようになる

です。

まず一つ目、

「計画的に物事を進めれる様になる」

についてです。

これは受験勉強を割と能動的に動いてやっていた人には、「あー確かにそうだよね〜」となることだと思います。
というのも、勉強することが山ほどあり、時間も限られている中で、合格するにはやることを決め、それをこなすためにはどうすれば良いのかを考え、逆算して計画をたてること。
これが重要になるからです。

受験生にもなると模試を受けるでしょう。
その結果を見て、一喜一憂するのも結構ですが、そんなことよりも自分に今足りていないものは何なのかを分析し、再び計画を練り直し、それを実行する。
それが合格への近道といっても過言ではないでしょう。
何においても言えることですが、行動する前の準備、やはり
これが重要です。

次に二つ目、

「問題意識を持つ様になる」

についてです。

一つ目があまりにも堅苦しい話題になったので、
変なものを持ってきました。
これは国語の問題を解く時によく僕が考えていたことです。

国語の評論を解く時に社会で問題になっていることが挙げれられている文章。

よく覚えているのは、
日本って、街はすごく綺麗だけど、歩き疲れて休む場所ないよね
(冒頭の入りがこうだった気がする)

日本が車社会になったからでは?

大型ショッピングセンターができた

商店街が廃れた

ドイツのあの都市ではね…

みたいな文を読んでいる時に、自分の頭の中で会議が行われる。

「本当か?」「あー、そうか」「いや、それは違うな。本当はこうじゃないか?」「どうしたら解決できるんだろう」
などなど本当は問題を解かないといけないんだけれども、
頭の容量の1/4ぐらいをそっちに使ってしまう事がよくありましたね。

こんなことを国語の評論を解くたびにやっていた(恐らく自分ではあまり意識はしてはいなかったけど)ので、社会問題に対してはすごく敏感になったし、それをどう解決するのかについても日頃から考える様になりました。
これに関してはすごくタメになったと思うし、自分の意見を確立するきっかけにもなった。

最後に

受験生は何かと問題ばかり解いて気が狂いそうになるかとは思いますが、もし、今やっていることへの動機付けが上手くできていない人にとって参考になれば幸いです^_^

受験生に頑張ってとは言いません。だって多少なりとも頑張ってるでしょ?たまには一度立ち止まってこれから自分がどう動くかちゃんと考えてみるほうが良いかもよ。

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