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脇腹に風穴があいた着ぐるみのボディガードをした話

僕が市役所に勤めていたときのこと。
広報業務のかたわら、市のキャラクターの着ぐるみを使ってイベントに参加するという仕事もしていました。

その一環としてあったのが、地元のプロ野球チームの試合が行われるスタジアムでのステージイベント。
スタジアムの敷地内に設置された小さなステージで、各市のPRやご当地アイドルのパフォーマンスをするというものです。

「野球の観客が、わざわざ名前も知らないキャラクターやご当地アイドルのステージを見に来るのか⋯⋯」
そんな当然の疑問は抱えつつも、公務員も所詮はサラリーマン。
お偉いさんの意向や前例踏襲で、イヤイヤながら参加していました。

そのスタジアムでのイベントがとりわけイヤだった最大の理由。
それは「更衣室からステージまでの距離とルート」です。

着ぐるみを着たことなんてない人が大半だと思いますが、視界は狭いわ歩きにくいわで、着ぐるみを着ての移動はかなり大変です。
とくに足元に関しては、スリムな形状や特殊な作りをしていない着ぐるみではほとんど見えません。
その上で、移動中には無邪気な子どもたちから、死角からの低めのタックルや「中に誰か入ってる!」という心ない言葉が浴びせられます。

そんな事情もあって、基本的に着ぐるみが参加するイベントでは、なるべく出演場所に近い場所や移動しやすいルートが確保できる場所に更衣室が用意されています。

しかし、そのスタジアムのイベントでは毎年、更衣室とステージがめちゃくちゃ離れていました。
だいたいスタジアムの外周の3分の1程度の距離を歩くことになります。
着ぐるみを着てポテポテ歩くだけなら、15〜20分くらいといったところでしょうか。

さらに凶悪なのが、外周を歩いてステージに向かうまでの間に専用のルートなどがまったく用意されておらず、お客さんがいる中を通っていかなければならないことです。
たとえ見たことも聞いたこともないキャラクターでも、子どもたちは寄って来てくれますし、親御さんから記念撮影を求められることもあります。
移動中だろうと、その好意を無視することはできません(着ぐるみはそれが仕事なわけですし⋯⋯)。
お客さんに応えながら移動をしていると、ざっと2倍ぐらいの時間がかかります。

つまり、更衣室を出てからステージにたどり着くまでに約40分!
しかも毎年、そのイベントが開催されるのは夏。
ステージに着いた時点で、中の人はグッタリしているわけです。

そんな大変なイベントで僕も着ぐるみ役をやったことがあるのですが、事件があった年は上司が着ぐるみ役をすることになりました。
理由は、着ぐるみをリニューアルしたから。

それまでの、いわゆるきちんとした着ぐるみから、ファンで空気を取り込んで膨らむエアータイプの着ぐるみに変わったのです。
布でできた風船のようなものをイメージしてもらえるとわかりやすいですね。

普通の着ぐるみよりも抜群に軽くて、中も蒸れにくく、着ぐるみの中に入る人の負担をかなり減らすことができるすぐれものでした。
しかし、膨らむサイズが決まっているので、中に入る人の身長制限がより厳しくなります。

僕や後輩の身長では不自然な見た目になってしまうため、上司が着ぐるみ役をすることに。
また、エアータイプの着ぐるみは耐久性が低いため(要はちょっと厚手の布を縫い合わせただけなので)、上司からも着ぐるみの扱いを注意するようにとお達しがありました。

そしてイベント当日。
会場についた僕たちは驚愕します。
「いつもよりさらに更衣室が遠いじゃねぇか⋯!」

更衣室からステージまでは、スタジアム外周をほぼ半分移動するぐらいの距離がありました。
着ぐるみではただ歩くだけでも、20分以上はかかりそうです。

ですが、今年の着ぐるみはリニューアルしたエアータイプ。
移動時の負担も少ないし、着ぐるみの中に入るのは上司で僕はそのアテンドだけ。
僕は「エアータイプ着ぐるみの慣らしにちょうどいいんじゃないかな〜」などと軽く考えていました。

そしてステージの時間が近づいたころ、更衣室で着ぐるみへの着替えが始まります。
普段はあまりやる気を見せないのに、そのイベントのときはやたら張り切っていた上司。
新しいエアータイプの着ぐるみを前にして、「スゲー!便利ー!」なんてはしゃいでいました。

エアータイプの着ぐるみを着るときにはひとつだけ注意するポイントがあります。
それは、『膨らます前に着ぐるみとなる布をかぶる瞬間』です。

着ぐるみに付いているファスナーを開けて中に入り、ファンの電源を付けるだけで完了なのですが、ファスナーに引っかかって縫い目を破ってしまっては肝心の空気が漏れてしまいます。
そのため、布をかぶる瞬間だけは細心の注意を払う必要がありました。

とはいえ、先に足の部分を通してしまえば、めったに破れるようなことはありません。
「前の着ぐるみのときは着替えるのも一苦労だったのに、ずいぶん楽になったよなぁ〜」と思っていたとき、

【ブチブチブチブチッ!】
更衣室で聞こえてはいけない音がしました。

あわてて音がした方を見てみると、
ファスナー部分を思いっきり踏み抜いている上司。
着ぐるみの脇腹の部分が、縫い目に合わせて30cmほど破れています。

⋯⋯⋯
一瞬でいろいろなことを考えました。
「この着ぐるみ、数十万かけて作ってるんだが?」
「僕らには散々注意するように言ってたのに?」
「ステージどうするんだ?出演キャンセルってできるのか?」

すると上司が口を開きました。
「うわー⋯⋯。うん、でもしょうがないっ。ふみばらさん、準備しようか」

自分の不注意で破ったことについては一切ふれない上司。
「まじか、この人」と戦慄しつつも、移動を始めないとステージの時間に間に合いません。

上司が入った着ぐるみのファスナーを閉じ、空気を取り込むためのファンのスイッチを入れました。
幸いなことに、少しずつ膨らんでいく着ぐるみ。
しかし当然ですが、破れた脇腹から空気がめちゃくちゃ漏れていくため、本来の形を保つことはできません。

最終的に、首が傾きうつむきがちで、軽く触ればふにゃふにゃの、脇腹の風穴から勢いよく空気が漏れていく哀れなキャラクターが出現しました。

もちろん穴をふさげれば良かったのですが、その場にガムテープや裁縫道具などの都合の良いものはありませんでした。
道具を探してきて直してから移動するのでは、ステージの時間に間に合いません。
苦肉の策で、そのままステージ裏まで移動し、そこでガムテープを使って応急処置をすることにしました。

いよいよ更衣室を出発した、上司が入った着ぐるみとアテンド役の僕。

着ぐるみには空気が足りていないので、歩くたびに頭や体が不自然に揺れています。
脇腹から聞こえてくる『ヒューーー』という空気が漏れる音。
さらに空気が足りていないことでスムーズに動くことができず、引きずるような足取りで進んでいきます。

『痛々しい』以外の言葉が見つかりませんでした。

そんな状態でも、着ぐるみは目立つので遠くから子どもたちが寄ってきてくれます。
普段ならそこで存在をアピールするところですが、ふと僕は考えました。

「こんなキャラクターの状態を、子どもたちに近くで見せていいのか?」

首が傾いたヨレヨレの姿。
風穴の開いた脇腹。
小さい子どもたちの目線からは見えてしまうであろう、風穴の中の上司(おっさん)の足。

「市のPR以前に、いろんな意味で見せていいはずがない」

とっさに僕は配布用のノベルティが入っていたトートバックで着ぐるみの脇腹を隠し、横歩きの状態で着ぐるみと子どもたちの間に立ちふさがりました。
「この子は今ステージに向かって移動中なんだ〜。グッズをあげるから、応援してあげてね!」

なんとか子どもたちとご家族に対処しましたが、まだ更衣室を出発してから100メートルも進んでいません。
ここから、長い戦いが始まりました。

ステージに向かって体を引きずるように歩く着ぐるみと、不自然に着ぐるみに密着するアテンドの僕。
お客さんが多いエリアを通り過ぎるときも、なるべく着ぐるみの脇腹の前にトートバックをかざしながら歩きます。
僕はいつの間にか、常に体を張ってお客さんが着ぐるみに近づくのを防ぐというボディガードのような役割をすることに。

果てしなく長く感じたステージまでの道のり。
夏の照りつける太陽の下では、楽しそうな笑顔を見せるお客さんがたくさんいます。
本来であれば、着ぐるみをお客さんにかまってもらってPRをする絶好のチャンスです。

ですが僕たちは、気配を消してお客さんの接近を拒みながら、ただただステージに向かって進み続けるという異様な存在になっていました。

お客さんとの交流を拒み続けた着ぐるみがステージ裏に到着したのは、出発から30〜40分ほどたったころだったと思います。
応急処置のために着ぐるみのチャックを開けると、すっかり疲れ切った汗だくの上司が出てきました。

着ぐるみに対して「歩きにくい!」だのと散々文句を言っていましたが、今はそれどころではありません。
僕は、ノベルティの配布やイベントの記録写真の撮影などをしていた後輩のもとまで全速力で走り、
「ガムテープ持ってきてくれ!」と頼みました。

その後は、着ぐるみの風穴をガムテープを使って裏側から塞ぎ、なんとかステージイベントを乗り切ることができました。
着ぐるみの風穴については後日、裁縫が得意な職員に頼んで縫ってもらい、着ぐるみは元気な姿を取り戻しました。

今もあの着ぐるみは現役で頑張っているのだろうか⋯⋯
市役所を辞めてちょうど丸3年。
いまだにはっきりと覚えている思い出の1つです。

#私だけかもしれないレア体験

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