小さな幸せを、積み重ねていく

我が子が生まれて不自由が増えたと感じていた。
それが幸せもプラスはされているけど、それ以上に何か大きなものを失ったような感覚。もともとそんな大したものを持っていたわけでも、特別やりたいことがあったわけでもないのに。

ここ最近まで育てにくかった我が子。
チャイルドシートは乗らない、おっぱいが隣にないと寝ていられない、とにかく我が強い。
そんな中で迎えたイヤイヤ期はもうほんとに嫌になったし、可愛いんだけれどそう思えないくらい嫌を貫いてきた。その罠にまんまとやられた新米ママの私は、もう朝が来るのが怖くて、保育園のお迎えに行くのが億劫になった。

こんな風に思ってしまう自分にも嫌気がさして、誰かに助けを求めたいけど、実家も遠いし友達はみんな働き始めで忙しいし、どこにも頼れない、頼り方がわからない。パパは、、、、もうあてにできない。(ママがいいんだって。この逃げ道を差し出されるのが早すぎてもう頼む気にもなれない)

私は、この子のママで居ていいんだろうか。
育てにくいのは、私がそう育ててしまっているからなんだろうか。
もう、どう捻ってもポジティブなんて出てこないくらいきつい。

そんな日を過ごしていると、今日はうまくいったなぁといったラインのハードルが下がる。
(明日も同じように行くだろうか。という不安もセットだけど。)

朝、大泣きで起きてきて当分泣き止むことがないのに今日は、「おはよぉ」って返ってきた。

箱ティシュの中身を全部出そうとして、いつもなら怒っていたけど今日はもういいか。と黙って見ていると満面の笑みで楽しんでいる姿が見れた。
なんなら一緒に遊ぼう。と手を引いてきた。

「ただいまぁ」と教えたわけでもないのに、毎日「おかえり」と声をかけていただけでいつのまにか言えるようになった「ただいま」

自分はちゃんと愛されて育っているんだ。と肌で感じてほしいから毎日ちょっとした時に伝えている「大好きだよ」「生まれてきてくれてありがとう」。いつのまにか「ままぁー!だいっきー♡」と満面の笑みでハグとセットでしてくれる。

私が咳き込んでいると背中じゃなく胸をトントンしてくれて心配そうに顔を覗き込む。

気づく余裕もないくらい必死で、それに気づいた時にはもう全てが報われて。
大変だし手がかかる。かなり。
でも、きっと手をかけてあげる必要がある子で。

余裕がない瞬間も、一瞬深呼吸すれば小さな幸せはたくさん転がっている。
それは、必死に過ごす日々の中で勝手に積み重なっていてくれて、そっと背中を押してくれる優しいけど大きな力になる。

必死でももがいてもいい。
そんな日を積み重ねて過ごす日々は、何より輝かしいじゃないか。

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