見出し画像

「デカメロン(下)」 ジョバンニ・ボッカッチョ

河島英昭 訳  講談社文芸文庫  講談社

省略箇所一覧(上下巻)
第2日目…第3話、第6話、第7話
第3日目…全て
第4日目…全て
第7日目…全て
第8日目…全て
第10日目…第4話、第6話、第8話、第9話
底本…1989年講談社「世界文学全集(第四巻)」
(底本は全訳なのかは未確認)

上巻はこちら


きわどい、第8話

下巻は5日目、第8話から。なんかキリよくないな、どうせなら6日目最初からでいいのでは、ともちょっと思ったけど、これにはワケがあった…
(ホントはないかもしれないけど(笑))

というのも、この第8話、今までの5日目の各話と違い、かなり際どい、ブラックな話だから。これまでの違う日にもあった際どさが、パワーアップして?甦ってくる。それもボッカッチオが意識しているダンテ「神曲」の名場面の舞台で。

貴族の若者が、それよりは身分が低い貴族の娘に恋する。が、この娘がちょっと傲慢で彼の誘いを断り続ける。若者の取り巻きがこの街(ラヴェンナ)を離れれば忘れるだろうと、旅に出す。近郊のキアッシというところで、猟犬に追われて喰い殺される(別の)娘という場面に遭遇する。娘を助けようとする若者に、この猟犬をけしかけていた男は静止する。若者と同じ状況でその男は娘を殺し、自死したという。この地でいつ果てるともなくこのような(他の曜日にはまた別ヴァージョンで)場を繰り返す定めなのだ、という。
それを聞いて若者は一族とラヴェンナの娘一家を連れてここで食事会を催す。皆の現前でまたその場が繰り広げられ、この事件を知っている皆は納得し、娘も会心する…

これって「残酷悲惨な出来事の果てに恋人たちに仕合わせの到来した話」(上巻p281)なのか?
あと考えてみればこの世のものではないものが出てきたのも今までなかったような…
とにかくダンテとの関係含め、印象に残る話の一つ。
(2020 09/22)

一件落着?

第8話に続けて9、10話を読む。
第9話は物語のきっかけと結果という枠構造としては第8話と似ているのだけど、読後感は異なる。また例の心臓を食べさせる話とは、「食べさせる」ことが物語の重要要素になっていることが似ていてそこは読後感は似ている。結局、結ばれればなんでもいいのか…
と、第10話は、さすがディオネーオ? この日のこういう流れに反して?デカメロンほかの小品寄せ集め物語によくありがちな寝取られ亭主譚。なんだけど、ここでは亭主は男色で妻の方が全く放って置かれるという状況なのが大いに変わっている。妻側に同情はかなり傾く。で、妻が連れ込んだ若者が実は夫の相手もしていたということがわかり、一件落着(普通はならないよなあ)。

 翌朝、中央広場へ着くまでに、若者は、昨夜、自分の相手をより多くつとめてくれたのが妻のほうであったのか、それとも夫のほうであったのか、はっきりしなくなっていた
(p47)


どっちやねん…の前に、何回やってるんだ?
という愉しい(?)話で第5日終わる。
(2020 09/23)

第6日目折り返し地点にて


6日目のお題は、当意即妙の受け答えで危機その他を乗り切った話。なんか似たようなお題もあったような…まあ、とにかく今回はその一言に集中しているせいか一話が短くサクサク進む。一話4、5ページくらい。
で、今日読んだ第5話までのところで一番のサプライズ?は、各自の話に入る前の場面で、ちょっとペストの世俗離れて隔離というか天上界じみてさえいるこの十人以外の人達(この十人の従僕らしいのだが)が出てきて、賑やかに話していくというシーン。この展開は後に伏線となるのか(特に何もない気もするのだが)。
(2020 09/24)

フィレンツェのチボッラたち


第6日目後半。
上記の「伏線」は、次の日(第7日目)の話のテーマに関わっていたくらいかな。「結び」の方では、この場からちょっと離れた「貴婦人の谷間」なる場所に遠出する(そこの描写でちょこっと「私」が顔を出す)という変化も。それもこれも、第6日目がほとんど短い話だった為だろう。細かいところを少し。

 フィレンツェはおろか、世界じゅうで、あるいはマレンマじゅうで…
(p91)


マレンマというのは、フィレンツェ近くの小地区の名前…だから東京で表現すると、「東京はおろか、世界じゅうで、あるいは川崎で…」とかなんとか。
こんな感じ?の第6日目。この間の第5話から出てくるバロンチ家、世界の古典文学の名作に2つの話にまたがって登場するこのバロンチ家、それは家系が顔が醜いからだって…ボッカッチョも酷いね…しかもその理由が「創造主たる神がまだ拙い創造をしていたころに作った顔だから…だって。

第7話は第5日目第10話と対になっているような気も。めでたしめでたしになっているけど、その後がとても気になるのも同じ。第8話は「デカメロン」には珍しく?狙い定めた(とっておきの)一言が全く効果無しになった例。娘はどこへ向かう…第9話は、グィードをからかおうと言い出したのがベット卿自身だったのかがちょっと気になる。文意はそのように読めるのだけど、そうなるとこの人物の評価が怪しくなる…

で、第10話。例によってディオネーオ、この話はこの日においては異例に長い。長いのだけど、内容はほとんど落語(笑)。チボッラ(玉葱という意)修道士が、聖遺物であるなんかの羽を聴衆に見せようとしたのだが、入っている箱が悪戯されていて中には炭がたくさん。それを別の聖遺物だよと弁舌を繰り広げる。これは「当意即妙」というより、「いい加減な内容の無い語り」というものへの嘲笑だろう。玉葱だし。

 そこで、わたしは旅に出て、まずヴィネージャを船出し、ボルゴ・デ・グレーチへ赴き、そこから馬に乗ってガルボの王国を通り、バルダッカを抜け、パリオーネに至り、そこを出て渇きに悩まされながら、しばらく後にサルディーニャに至りました。
(p121)


ヴェネツィア-ギリシャ-バクダット-サルディーニャ…?実は、これらの「地名」はフィレンツェを東から西へ抜ける時に通る、通りとか広場の名前なんだって…玉葱だし…

 そこから陸路をメンゾーニャの国に達し、そこでたくさんのわたしたちと同じ修道士や他の宗派に属する者たちに出会いましたが、いずれも神の愛にかけて不便を回避し、他人の苦しみはろくに顧みずに、ひたすらおのれの利益のみを追求し、その地方で使うお金はいずれも鋳造されていないものでした。
(p122)


メンゾーニャというのは「嘘の国」とかいう意味。この修道士のアントーニオ修道会というのは、偽金作りまでしていたという…玉葱だし…
(2020 09/29)

第9日目


4話まで読んだのだけれど、「おのおの好きな話をする」というフリースタイルなテーマにおいて、面白さは倍増…

死体のふりと墓泥棒という難題を吹っかけて言い寄る男二人を厄介払いした話、尼僧院で男を連れ込んでいるのを踏み込んで捕らえようとした院長が自分も連れ込んでいる神父の下穿き?を頭に巻いて失笑をかう話、ある男を「妊娠した」と思い込ませて金等をせしめる話、旅の途中寝ている間に相棒?に金を取られてバクチですられたのだがその相棒は「アイツが俺の金と服取った」と逆手に出た話…

第3話はカランドリーノ話、これまでもどこかで、そして次の第5話でも出てくる与太郎みたいなヤツ。第4話はこのままでは全く救いのないというかウケ狙い過ぎて飛び過ぎた(一応褒め言葉のつもり)話。とにかく話し手の趣味に走り過ぎ…
(2020 09/30)

昨日は与太郎って書いたけど、それより中年っぽい妻帯者だからジンベエさんの方がぴったりかな。第3話での男が妊娠するなんてかなり強引な理屈をそのまま信じて「テッサ(妻の名前)、おまえがいつも上になりたがるからこうなるんだよ」なんてのはナンセンスが吹っ切れた粗忽者。
その西洋ジンベエカランドリーノがまた災難を引き起こす第5話を昨夜あれから読んで、今日は第6話と第7話。第6話の小さな部屋でのベッド取り違いの話なんてほんとに落語にあるのではないか。妻の最後のところもオチみたいだし。第7話はそれにそこからつながる夢についての教訓話。
(2020 10/01)

一捻り話続く


第9話はなんだか女性に慮っていたデカメロンにしては珍しく男性優位な話。強情な妻とは言え棒で殴りつけて矯正させるとか…サロモンが出てくるから出自は古い話かな。
第10話は待ってました!の下ネタな話、貧乏夫婦の妻が騾馬になって昼間働きたい、という展開も飛んでるけど、落とすところがもうなんか、そのまんま…前の話との落差が激しい…

さて、最終日第10日目に入って、第1話もちょっと変わった話。日本の昔話(なんだっけ?)みたいに、つづらを二つのうちどっちか選べ、という話なんだけど、泥が詰まったつづら選んで、結局(もう一つの財宝のつづら貰って)めでたしとなる変な話。なんでも、王様(スペインの)はこの相手を評価してなかったわけではなく、彼が不運だったからということを示したかったらしい…でも、最後は宝貰えたのだから、不運ではないんじゃない?

…と、続けて第2話読んでみると、この盗賊の頭が敵対してた修道院長の病気を治し、修道院長の方はそれを受けて頭を教皇の部下に取り立てるという話。これも運命に見放されていた境遇という共通点がある。表のテーマとは異なる通奏低音のようなものになるのかも。
(2020 10/06)

第10日目、第5、7話。1月の庭を5月の庭にした奇術で貴婦人との約束を叶えた貴族?が、その貴婦人の夫の寛大さに心打たれて約束を切り上げる。また、シチリアの王様に恋してしまった薬局の娘と王様とのやりとり。
(2020 10/08)

昨夜、第10話と結びを読んで、残すは作者あとがきと解説のみ。報告まで。
(2020 10/10)

作者のあとがきからと訳者解説

まずは作者あとがきから。

 同様に、武器は平穏に生きたいと願う人々の命を守るが、同時に非常にしばしば人を殺す道具になってしまう。けれども、それは武器が邪悪なのではなく、邪悪にそれを扱う人々の心が邪悪なのだ。
(p343)


笑い話も時と場を間違えると武器になる?
続いて、解説から。

 …チャッペレットがチェッパレッロと混在して表記されるのは、そのように異なって異なって発音する複数の地方と複数の人びとが-ボッカッチョの直接の読者として-存在していたことを意味している。
 そして言葉の多様性を損なわないようにしながら、それらに共通の価値を導きだすのが、文学の営為の基本である、といまは言っておこう。
(p367)

 そして言語を作為的に統一しようとする行為の背後に、じつは危険な思想が胚胎しがちであることを、私たちは忘れないようにしたい。
(p368)

ちょっとした表記の揺れから、それを画一的に統一してしまうことへの密かな危険。何かの襞には必ずそこに隠れている何者かがいる。
で、平川訳は読むの?
(2020 10/11)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?