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「アール・デコの時代」 海野弘

中公文庫  中央公論新社


中野古本案内処で購入。

同著者に「アール・ヌーボーの時代」もある。この人「プルーストの部屋」とかの著書もあるけれど、前に読んだ「ペテルブルグ浮上」の人とは違う?
(後注 同一人物でした(本名は中村新珠(なかむらあらたま)←本名の方がペンネームっぽい)。幅広い多数の本を書き、小説も書いているという。早稲田大学ロシア文学科卒だから(この本でもそうだけど)ロシアに造詣深い。「アール・デコの時代」は1985年、「ペテルブルク浮上」は1988年、2冊にわたる中公文庫のプルースト論もあるよ(ウィキペディアより))
(2017 02/20)

装飾とデザイン


海野氏の「アールデコの時代」を30ページくらい。大戦間期、1920年代頃の造形芸術、その他。1925年にアールデコ展が開かれる。大量生産、複製技術が始まり、ベンヤミンの「アウラ喪失」の時代…
(2017 03/14)

「アールデコの時代」70ページくらいまで。少女達にデザインを学ばせて製品を売り出したマルチーヌという試み、デュナンという作家に漆の技法を教えた日本人、現代生活のだいたいのものが出揃って機械の時代であるアールデコはまた女性の社会進出が始まり、ポスターにもその二種(機械と女性)のどちらかが得意かで作家が分けられるなどなど。

 つまりアール・デコの時代は装飾とデザインがちょうど分岐しようとしていた時代であり、アール・デコを甦らせることは、装飾とデザインの分岐点に戻ることであり、そこでその二つがいかに統一されていたか、いかに分裂しようとしていたかをさぐることなのである。
(p46)


デザインが装飾を含むのか、或いは装飾がデザインを含むのか…
(2017 03/15)

ソフィスティケーション?な時代


「アールデコの時代」第1部の残り日本のアールデコと第2部のアールデコの女性たちを読んだ。ソフィスティケーションという言葉はこの時代以前はあまり肯定的な意味はなかったけれど、洗練とか人工的な風味ということで用いられるようになる。例えば女性の化粧。19世紀までは特殊な職業除き化粧をすることはなかったが、社会進出とともに化粧品の生産も増加。マスメディアの発達で有名モデルの真似もできるように。シャネルの5番という香水は何か自然の模倣ではなく全く人工的な香りというのに特色があるという。
(2017 03/16)

アールデコ、ミラノとニューヨーク

 パリの新しいスタイルは、新聞で見ている限りではシックであった。しかし自分の家が、イタリアが、アール・デコになってしまうのは許せない。イタリア人が二○年代のミラノに対して抱いた感情は、以上のようなものだったのではないだろうか。
(p197)


ヴィスコンティーは伝統あるミラノの名家の生まれなのだけど、こうしたアール・デコのミラノ以前のミラノに耽溺した、という。

 私たちは通りを歩く時、視線は水平のままなので、建物の一階部分しか見えていない。ところが一階というのは、一番変りやすいところで、いわば建物の現在なのである。上の方にゆくほど過去で、つくられたままの状態がのこっている。
(p201)


あとは、ブガッティ家の流れ。彫刻家で永久機関に興味を持つ祖父、アール・ヌーボーの作家である父、そしてアール・デコの代表たる自動車を作りながら父のアール・ヌーボー的要素も密かに取り入れた創始者…後を継いだ息子が早くに亡くなったのが痛かった…
(2017 03/21)

「アール・デコの時代」読み終え


…ということで、昨日読んだところのポイント。
「お客様は神様です」と初めて?言ったのはパリのバーテンダーだったらしい。三波春夫は知ってたのか。

で、こういうバーやカフェを巡り歩いていたヘミングウェイは、「陽はまた昇る」でモデルにされ怒っていた男に「○○バーで待ってる」と手紙して、3日間待っていたという(当人は結局現れなかった)。

1920年代は現代の生活のあらゆる要素の始まりが出揃った時期であるというのがこの本のテーマの一つだけど、そこに懐中時計から腕時計へ、葉巻からシガレットへという変化も加わる。
1930年代は「政治の時代」鼻をつまむムッソリーニの写真等を隠し撮りしたエニェはそれをよく残している。
(2017 03/28)

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