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「『罪と罰』ノート」 亀山郁夫

平凡社新書  平凡社

地下室人と屋根裏部屋人

 さらに一ついえることは、主人公がいま、この息苦しい部屋を出て、地上に降りたとうとしていることである。屋根裏部屋ではどのような妄想も許されるが、地上にいったん降りたてば、そこには地上の現実とメカニズムが支配しており、けっして彼の空想のとおりには動かない。かりに屋根裏部屋と地下室と同義にとるなら、そして、そこから出たいという意志の結晶が犯罪であるなら、これまでの地下室人たちを主人公にした小説はすべて、犯罪者の意識が臨界点に達するまでの序章だったということになる。 
(p91)


ここで述べられている「地下室人」と「屋根裏部屋人」との違いの方がよく理解できないのだけれど。この「『罪と罰』ノート」は、今読んでいる亀山訳「罪と罰」のいわば副産物で、解説にも重複しているところがある(というかあちらは抜粋というべきか) 
(2017 10/11)

作者の裏切りと母殺しの物語


「罪と罰ノート」は第3章まで読み進め。 
第3章のラスコーリニコフ(今まで長音の位置が違っていたかもしれないけど見逃してください)とポルフィーリーとの対話、ここを書いているうちに作者ドストエフスキーは主人公の名前と立ち位置を大きく変えたのでは、と想像する。

 端的にいうなら、作者ドストエフスキーは主人公を裏切る決心をしたということである。では、どのような裏切りだろうか。それは、彼に、ポルフィーリーのいう「印」を刻み、「特別な服」を着せ、「ラベル」を貼ったことである。ほかでもない、PPPの名前であり、その反転形である666、すなわち『黙示録」に現れる「悪魔」の「サイン」である。 
(p153)


666については江川氏の「謎解き」を参照してもらうとして、ワシーリーからロジオーンに変わったのもこの為だという。 
さて、ロジオーンという名前にもいろいろな意味合いがあるのだけれど、その一つに多くの幼児を、救世主誕生を恐れるあまり虐殺したヘロデ王との関係が指摘されている。そういえば、元々の構成ではリザヴェータとともにお腹の子も殺害することになっていた。ここで亀山氏は「母殺し」という考えを示す。リザヴェータとともに十字架交換をしたソーニャ、そして金貸し老女アリョーナ。リザヴェータとアリョーナはともにイワノーヴナという名前(女性の場合、父性っていうのかな)を持つが、セミョーノヴナであるソーニャをラズミーヒンが一回「イワノーヴナ」と言い間違えているシーンがある。この「イワノーヴナ」達をラスコーリニコフは殺していく。 
そして、亀山氏は、もし老女殺害の現場にリザヴェータではなく自分の母親がやってきたとしたら、その母親を殺しただろうという。そこまではどうだろう。確かにある時ラスコーリニコフは「あいつら、もう大嫌いだ」とまで思い込むのだけれど… 
(2017 10/14)

三人のラザロと狂気で見えるもの


昨夜で「罪と罰ノート」の方は読み終わり。こちらが本編読みを飛び越えて、先取り読み。 
ラザロは聖書に出てくる死後4日でイエスによって甦った人。第4部ではソフィア?によって朗読される。聴いているラスコーリニコフ、朗読しているソフィア?、そして隣で盗み聞きしているスヴィドリガイロフ、とここには復活を待つ三人のラザロがいる。ただし一人だけは復活しない。それがスヴィドリガイロフ。彼は好色というだけでなくキリスト教以前の異教的存在に位置しているらしい。最後に泊まったホテルの名前がハドリアノープルとか、自殺するのがアキレス像の前であるとか… 

エピローグではラスコーリニコフの母親プリヘーリヤも亡くなるらしい。それも狂気のうちに。本編中だんだん怪しくなってくるプリヘーリヤ…だからこそ、息子の越えた狂気を根源的なところで感じ取っていたのでは、と亀山氏。

あとは、ポルフィーリーというのは実は姓ではなく名前で、姓は示されていない(意味は赤紫色ということで、ぺトロヴィッチという父称とともに何かを連想する)、名前つながり?で、スヴィドリガイロフの妻マルファは、さっきのラザロの姉?マルタのロシア語読みとか、ほかにもいろいろ… 
(2017 10/21)

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