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「メルロ=ポンティ コレクション」 メルロ=ポンティ
中山元 編訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房
読みかけの棚から
読みかけポイント:「芸術について」と「言葉について」?
「芸術について」(セザンヌ)他
セザンヌは、ひどく疑い深くまた自分の感じた対象を最初のまだ分化する前の一塊として受け止めて描く。障害を通じて。セザンヌ自身が満足したわけではないと思われるが、やはりそれは一連のしるし。このただ一つのしるしだけではなく一連のしるしというのが、人が生きていく、また死んでも万物流転して繋がっていく…
(2008 09/15)
昨日はいろいろ拾い読み。メルロ=ポンティの自然についての講義。劇場の支配人としての哲学から、劇場の登場人物としての哲学へ。20世紀物理学が「観察することの意味」「観察することによって観察対象が変わってしまう」ことを発見したならば、20世紀の哲学も哲学で語る言葉や論理そのものへの問いや、自分自身を観察対象にする、と似た遷移をたどっているか、のよう…
(2008 09/29)
知覚の現象学の言語論
「メルロ=ポンティ コレクション」から、昨夜読んだ分。
言葉やコミュニケーションという煩わしいものにかかわることなくそれ自体で存在することに満足する思考というものは、現れるとともに無意識のうちに沈み込むものであり、それ自体としても存在していないのである。
(p14)
これは苦笑させられる文章だが、要するに思考それ自体というものはなく、常に言語に表現するという営みが思考には伴う(というか言語化の方が本質的というか)ということ。浮かんで消える思考の泡もしくは渦、そしてそれに付随して起こる言語想起、それを思考としての言語化して初めて「思考」として取り出せるということ?
わたしがこの他者の意図を受け取るということは、わたしの思考の操作ではなく、わたし自身の実存がこれに同調して変化することであり、わたしの存在の変形である。
(p26)
こちらは他者とのコミュニケーション。まだ理解してないけど、メルロ=ポンティは、自己と他者の決定的な断絶という考えを一変させたいと思っているようだ。自己と他者は何かによって共有しているものがある、この辺はサルトルとは違うところかな。
では続きを…読めるかな…
(2017 10/30)
話そうという意図は、開かれた経験のうちにしか生じない。液体が沸騰するときに泡立つように、存在の厚みの中に、空虚なゾーンが形成され、これが外部に向かって移動するときに、はじめて話そうという気持ちが生まれる。
(p49)
こうなると「開かれた経験」というのが気になる。読み直してみよう。
(2017 10/31)
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