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「アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集」 レオポルド・ルゴーネス

大西亮 訳  光文社古典新訳文庫  光文社


ルベン・ダリオとほぼ同時期のアルゼンチン作家、ということはボルヘスなどの源流。もちろん?「バベルの図書館」シリーズにもある。これは読まなければ。

「円の発見」


ということで、まずは短く自分好みそうで、なおかつ訳者大西氏が二番目に読んで「ユーモアをまじえた軽いタッチの作品」と評した「円の発見」から。
これはなんかの精神病で自分の周りに円を書いていないと発狂死してしまうという患者の話。なんでも円は円環するから死なないけど、線分は切れるとか。物好きなのか失念深いのか、この患者クリニオ・マラバルが寝ている間に、周りの人が書いてある円を予備?含め全て消してしまった。
と、マラバルはすぐにこときれてしまうのだが、それ以来マラバルの声が時々するようになった。どうやら中庭に伏せられた缶から声がしているらしい。オチはこんな感じ。

 狂人たちは獰猛な目をこちらに向けていた。われわれはみな恐怖に身を震わせた。もしあのとき、発作的な衝動にかられた医師が缶を蹴飛ばすことがなかったら、われわれはいったいどうなっていたことだろう。
 声が突然止んだ。逆さまに伏せられた缶の跡を示す四角形の線、カビに縁取られた四角形の線のなかに、クリニオ・マラバルがチョークで描いた円が残されていた。
(p186)


(2021 09/26)

「ヒキガエル」、「カバラの実践」

昨夜寝る直前に、「ヒキガエル」を読んだ。ヒキガエルを怪我させた子供はヒキガエルの亡霊?によって殺される、という話。話の流れはなんだか前に読んだ「デーブーリン短編集」の死体置き場?に現れる幽霊の作品「死神の助手」を連想させる。
わざわざ物語の筋の外側枠を二つも作る必要性はあったのか? という疑問は確かにあるけれど、子供がそういう禁忌の話を母から聞くという地平と、その子供が大人になって恋人ができてそこで話すという地平が、意味あるといえばある…他の作品にも再登場するとかあればもっと…
(2021 09/27)

「カバラの実践」
というタイトルだったかを今読んだ。これも10ページくらいの作品なのに、枠物語形式になっていて、しかもその枠が物語本体と裏表の関係になっている。
(2021 09/29)

「イパリア」、「不可解な現象」


「イパリア」
 イパリアは地下室を狂気の庭に変えてしまった。昼であろうと夜であろうと、目覚めているあいだじゅうそこに閉じこもり、白い壁にむかっていつも同じ場所にじっと座りつづけるのである。
(p35)
壁に凝視していた少女の姿が残っている、という話。ひょっとしてこれビオイ=カサーレス「モレルの発明」の元ネタか。
「不可解な現象」
 忘我の眠りのなかで、わたし自身でありながらわたしから出ていくものがいったい何なのか、それを見届けてやろうと思ったのです
 わたしをじっと見つめているのですが、そいつに近づくことはできません。そいつは、わたしは、けっしてそこを動こうとしないのです
(p54)
ヨガの修行をした後のことらしい。下の文の言い換え(そいつは、わたしは…)緊迫した印象を強める効果も有り。
…後半眠気が襲ってきたので、後で読み返すか…
(2021 09/30)

「チョウが?」と「デフィニティーボ」まで読んだ。
(2021 10/01)

「死んだ男」、「ルイサ・フラスカティ」、「オメガ波」、「死の概念」

今日は「死んだ男」

 三十年も目覚めたままなのです! 事物と永遠に向き合うことを、おのれの非在と永遠に向き合うことを、三十年も強いられているのです!
(p153)


「円の発見」や「イパリア」、「デフィニティーボ」らと同じように、この短編は雑誌掲載。短くユーモアもあるこれらの作品は、ルゴーネスの別の一面を見ることのできる短編。「骨のない肉」と「肉のない骨」、陰画と陽画の関係のコレスポンダンス…「カバラの実践」で見せたこの対応が、ここでは非在と実在の関係で現れている。「円の発見」の円はこの短編では四つの蝋燭。
(2021 10/05)

「ルイサ・フラスカティ」「オメガ波」(途中まで)
(2021 10/07)

「オメガ波」(途中から)「死の概念」
「ルイサ・フラスカティ」は少女の肖像画が擬人化する話、「オメガ波」はエーテル波動を極度に何回も照射すると容器の内容物のみ破壊することができる、という装置を持った男の最期。事故か自殺か。
引用は「死の概念」から。

 病人はすやすや眠っていた。すると、人気のない、ありふれた殺風景な家を包みこむ暗黒の沈黙-夜、病人の枕元に座っていると、その存在がひしひしと伝わってくる暗黒の沈黙-のなかから、疑いようのない事実が不意にわれわれの目の前に浮かび上がってきた。
(p252-253)


犬が、死んだ妻に呼び出されて夫に復讐している…という筋書きの中で、この暗黒の沈黙の箇所はそのような筋書きとは関係しない読者にも迫ってくる。
(2021 10/08)

「黒い鏡」、「供犠の宝石」、「アラバスターの壺」、「小さな魂(アルミータ)」

今晩は「黒い鏡」と「供犠の宝石」。前者は木炭を鏡状にしたものが、周りの人間っての思考を吸い込むという話。後者は復活祭の時に司教が着る上祭服(カズラ)を刺繍する修道女の話。
(2021 11/29)

今日は「アラバスターの壺」を。表題作に挑戦。
と言っても読んでみれば、エジプトツタンカーメン王墓発掘の魅惑的な話。適度に枠物語の外枠の語りに戻しながら、石棺の部屋の前に置かれていたアラバスターの壺の「死の香水」に持っていく。語り手がその匂いを嗅ごうとすると、現地エジプトの農民(フェッラー)が腕を掴んでやめさせる。その匂いを嗅いでしまったカーナーヴォン卿は亡くなってしまった。
この古代エジプトの壺そのものの謎もさることながら、この農夫、そして語り手スキナー氏の下にいたムスタファなどの現代エジプト人の「農夫」に一番惹かれた。たぶん?ルゴーネスが書きたかったのもそれだろう。

 じつは、アラビア語と古代エジプト語の混成語に由来する農民(フェッラー)と呼ばれる彼らは、巷説とは裏腹に、多くのことを知っているにもかかわらずそれを軽々しく口にすることはけっしてないのです。
(p84)


そして、語りの外枠に戻ってきて、突如浮かび上がる「死の香水ですよ」という言葉。短編の終わりはかくあるべし、という感じ。
(2021 11/30)

昨日寝る前に「小さな魂(アルミータ)」を読む。白い蝶の名前(正式名ではなく俗称)の由来の話。この手の話だったら世界各国もちろん日本にもあるような…
そういう話を遠いアルゼンチンで味わうのもまたよし。
(2021 12/02)

「女王の瞳」

「女王の瞳」は「アラバスターの壺」の続編だった
…というわけで。
「アラバスターの壺」のラストにふと出てくるエジプト美人、というのが、この「女王の瞳」で全面展開されるハシェト(だっけ)という女。古代エジプト女王ハトシェプストから、クレオパトラ、アサシン団から古代エジプト発掘と中東諸国独立運動まで、いろいろな歴史を織り交ぜながら進む。
ブエノスアイレスにはルゴーネスの名前を冠した映画館があるという。本人は公式の建物に自分の名前を冠してほしくなかったようだけど。
(2021 12/04)

残った「ウィオラ・アケロンティア」と「ヌラルカマル」、そしてルゴーネス家の奇妙なその後


「ウィオラ・アケロンティア」は死の匂いのスミレを作ろうとした庭師の話。
「嘘だ!」と突っ込みどころ満載の先行者の研究(その中にはダーウィンも)、p205の白い花と黒い花との比較のデータが有意にはなっていないという突っ込み、周りに毒性持つ植物植えたりして、目的は達せられないが、「ああ!」という声を上げるようになったとか。それとともに、植物は上下ひっくり返した動物だ(脳が根にあたる)とか、「そもそも花は、生殖のための器官なのです」(p210)とプルーストのようなこと言ってたり、解説にあったアナロジー、もしくはコレスポンダンス(万物照応)の具体例であるとかいろいろ…この短編集の中でもお気に入りな作品。

「ヌラルカマル」はアラビア半島南部という、シバの女王の土地についての話で、「アラバスターの壺」「女王の瞳」と関連深い。ヌラルカマルなる女から貰ったいにしえの腕輪に、語り手の貴金属商の指紋が(元々)ついていた…前の古代エジプトの女といい、この話といい、輪廻転生も万物照応の一つ。

解説は結構詳しく…まずは、万物照応の思想を語っている「宇宙生成をめぐる一〇の試論」という論考から。

 昼と夜、労働と休息、覚醒と睡眠は、いわば生の発現の両極です。(中略)あらゆる力は無力であり、あらゆる無力はすなわち力なのです
(p301)
 人間の頭脳のなかで繰り広げられる「思考」と宇宙に偏在する「思考」の両者は、「本質的な同一性」のなかで結ばれている。
(p302)


「アラバスターの壺」でニール氏が語り、その語りによって「女王の瞳」では語ったニール氏が自殺する…という流れは、この「女王の瞳」を書いた作者すなわちルゴーネスの運命について考えさせられる。ルゴーネス自身も年下の女との不倫、そして彼の息子の警察署長による拷問により自殺に追い込まれる。この「拷問者」と名付けられた息子も自殺、その子供の一人も警察の拷問により亡くなる(娘さんは生きているらしい)…という。特に警察署長の息子が気になる…
(2021 12/05)

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