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「ジュスタ」 パウル・ゴマ

住谷春也 訳  東欧の想像力  松籟社


ついに出た? ベッサラビア(モルドバ)出身の作家。
移住してルーマニアの作家となる。東欧革命時にはパリにいたらしい。体制や対外勢力に妥協しながら生きてきたルーマニア人の中で「屈しない男」として知られている。第二次世界大戦時、ユダヤ人が残虐行為をしていたと書いて物議を醸す。反ユダヤ主義ではなく、妻はユダヤ人なのだそう。
(2021 04/18)

冒頭、パリの橋から


 橋の上からはあちこちの駅や街路がよく見える。パリのアルマ橋からは、それこそ一番よく、ブカレストの一つの交差点が目に映る。ある建築家とある作家が、ミンクとデラヴランチャが交差するところだ。
 そこから、別の方向に、本物の・橋からの・眺め。完璧な夢・からの・眺め、昨夜の夢は続き物の夢の第四夜、亡命九年のあとの夢だ。夢、四冊の本の忠実な再現、オリジナルの秋はおよそ何年前のことだろう、十一年か、十三年か? 夢みていると分かっており、しかもその夢の中で起こること、見えること、聞こえることは、その昔、言うなれば十五年と一日前に起こらなかった出来事の忠実なコピーだと分かっている。それが分かるのは、日付ではなく中点のマークのため。天秤の腕の形をした時間の桁、横木、棹の上で正確な居場所はどこか。
(p7-8)


冒頭近く、こんな感じ。最初の段落の交差点付近に、この小説の重要な場所の一つ、文学学校がある。
(2021 04/25)

暴露集会の応酬

 「連中の工場では… かりに一方から入れる原料がわかっていても、向こうから、製品として、何が出てくるかは決して分からない-私はシベリアで彼らのロシアの工場のことでそう聞いたことがある。ここでもソビエト・モデルの工場の機能はそうなるよ…」
(p21)


ゴマの自伝的要素もあるこの作品。この言葉は文学部と文学学校との「ダブル」合格の時に、(自身もシベリア送りにされた経験を持つ)父親が言った言葉。体制側の意図に反して行動することはできる…というメッセージ。果たしてどうか。それはこれから…

次は文学学校で延々と繰り返される暴露劇集会の一つ、グレゴリアンの告発のところ。飛び飛びで引用。

 何の関連が一つの罪ともう一つの罪の間に、発送と所有の間にあるのか(校長は“そうして特に”と強調しているが)? そんな疑問は間抜け極まる。そんな質問は、集会の一日後か、十年後ならしてもいい。だが集会中はだめだ。
(p64)


 (グレゴリアンは)別のゼミナールで、われらが偉大な生きている古典詩人A・トマはマイナーな詩人であると主張し、そうして特に、食堂で、ぴちゃぴちゃ、げえげえ、行儀悪く食う。
(p68 こうした非難が学生からもいろいろ次々に)


 トリアと違って、ヴァシレは何も信じておらず、そうして特に、隠していることがあった。
(p71 ヴァシレ・アルプはp68の発言をした人物。このp71の場面では、休憩中のトイレで語り手に半分脅しの要求をしている。それに対し語り手は、トリア(この小説のヒロイン的な正義感に強いスターリニズム信奉の女性)を利用してヴァシレを巻く)


2、3番目の「そうして特に」は、太字になっている。最後の「そうして特に」は何の関連もない…わけではあるまい。
今はちょうどp100、第5章まで。青春群像劇とも言えなくもない、泥沼の密告合戦中のちょっとしたロマンス場面まで…

ハンガリー動乱とルーマニア

1956年10月、ハンガリー動乱。隣国ルーマニアでも動き出すかに思えたが…というのが背景。
p104から108にかけてのところ、(ルーマニアの)ハンガリー人のところに一緒に抵抗運動をしようと持ちかけたルーマニア人が逆に侮辱され、それをルーマニアのセクリターテ(国家警察?)が利用する、という話が出てくる。
小説冒頭、ジュスタことトリアが語り手ゴマ(この作品に関しては大まかにイコールでもいいだろう)にどうすべきか聞くのが11月始め。その月の自作朗読で語り手は逮捕され、続いてトリアも拷問を受ける。その拷問の要素を元恋人(トリアも含めて3人いたらしい)ディアナから聞くのが小説後半。そのディアナの言葉。聞き手は語り手。

 でも君の痛み、男性の痛みは、君を殴る彼らも同じ男性だという事実によって、消えはしないまでも、いくらか薄らぐわ。“悪党”のような文句は、彼らにとっては罵倒でも、彼らが政治上の対抗者、敵対者に対して、道徳的見地から、“われわれの側でないものは、悪党だ”という決めつけなのだから、君の耳には褒め言葉に響くわけ。けれども、女性にとっては…
(p152-153)



ミッテラン大統領は、フランスに亡命した二人の作家、ミラン・クンデラとパウル・ゴマにフランス国籍を与えようとした。クンデラは受理し、ゴマは拒否した。クンデラはフランス語で作品を書き、ゴマはルーマニア語で書き続けた。この二人、お互いをどう思っていたのか少し気になる。
(2021 04/29)

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