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「イスラーム思想史」 井筒俊彦

中公文庫  中央公論新社

アシュアリーの原子論


アシュアリーは、アッバース朝の理性神学(ムゥタズィラ学派)の時代の後で、一旦ハンバル派の復古主義になり、その後は中間を行く…というか井筒氏によれば理性神学に戻っている。
そんなアシュアリー時代の原子論が面白い。なんでも各原子の間にはなんの力も関係もないらしい。好き勝手?に集まったり離れたりしている。時間や空間もそういうものらしい。それで運動は否定しないけど、瞬間瞬間ごとに神が世界を再創造するらしいから、連続して動いているわけではなく跳躍しているわけね…こうなると因果関係なんてのはなくなり全ては偶然の成せるわざ…速い・遅いも跳躍する距離によるとか。面白いこと考えるなあ…個人的にはイスラム神学がこのまま突っ走っていって欲しかったけど(笑)。
とにかく、アシュアリーはアニメーションを発明したということは間違いない…
そんな終わり方でいいのか?
(2011 05/31)

実体と偶有


「イスラム思想史」。今日はイマーム・ル・ハルマイン。11世紀頃のペルシャの神学者らしいけど…むつかしい(笑)。二重の意味において。言っていること自体も込み入っているけど、当時の状況が遠すぎるということもある。

さて、そんな中どうやら世界認識の中心にあったのが標題に挙げた「実体」「偶有」というもの。実体の方はまあある種の原子及びその結合体みたいなもの。偶有はまあわかりやすく言えば性質?議論の的?はどちらかと言えば偶有の方で、要するに神は偶有を持てるのか、とかいろいろ…
(2011 06/30)

第3の認識


相変わらずちびちび読んでいる「イスラム思想史」やっと第1部終了。最後はガサーリー。

 故に今、我々が最も確実なものとして頼っている悟性よりも、更に確実な何かが現れて、丁度感性的認識を崩壊させたと同じように、その悟性の権威を地に陥とすことがないとは何人も保証できないのである。そういう認識が今までのところ現れていないという事実は、決してその出現の不可能性を証する訳ではない。
(p139)


東方のイブン・スィーナー、西方のイブン・ルシドのように哲学的にこの文章でいうなら悟性に頼るのではなく、また神秘主義のように主我的になるのでもなく(彼の弟は神秘主義の大家)、信仰と知の領域を分けたガサーリーに井筒氏は高評価なのかな?位置付けの中心にあることからして。
そんなガサーリーの自伝?は、アウグスティヌスの「告白」と並び評される。邦訳もあるって…
(2011 07/01)

スーフィズムって…


ちびちびというか途切れ途切れになっている感のある「イスラム思想」だが、やっと第2部に入りイスラム神秘主義スーフィズムの項へ。
現地ではスーフィズムとは呼ばず別の言葉がある。ではスーフィズムのスーフィーとは?これは(もちろん諸説あるが)羊毛のこと。もともとイスラム発生以前は下層民や奴隷の着けた衣服で、なおかつその当時からアラビア半島の砂漠などに入り込んで庵などに住んでいたキリスト教修道者の衣服だったらしい。それを現世否定的なイスラム神秘主義者も着けたらしい。

イスラム神秘主義は発展していくイスラム社会を否定的に捉え、コーラン前半部(メッカ期)に見られるような終末論、特にアッバース朝前期に入ってきた新プラトン主義(プロティノス)、前述したキリスト教修道者、ペルシャやインドの思想…が入り込んで独自の発展を遂げる。
特に神への「愛」という概念が、神との合一を目指す新プラトン主義的な意味に加えて人間社会でいう愛、結婚の意味も入り込んだこと(旧約の雅歌とも似てる?)、また飲酒という表現も神との合一を示す言葉になったなど…こういうのが岩波文庫のアラブ飲酒詩選やオマル・ハイヤームにつながるわけか、なるほど…
って、ほんとにわかったのかぁ…エジプトの砂漠にでも一週間くらい滞在してみないとわからないかも。
(2011 07/05)

世界の始まりって…


神秘思想の章を読み終えて、続いて東方イスラムスコラ哲学へ。あんまりイスラムでスコラ哲学という用語は使わないとは思うが、井筒氏は故意に?使っているみたい。

さて、標題だが、アッバース朝の翻訳活動で翻訳されたギリシャ哲学はプラトン、アリストテレス、プロティノスの主に3種。ただアリストテレスといっても、新プラトン主義の解釈の入ったアリストテレスらしい。また、アリストテレスの偽書もあったらしい…って、まだ本題にたどり着いてない…

テーマは世界の始まりについて。パルメニデスを筆頭にギリシャ哲学では「無からは何も生じない」という見解。一方、イスラムではコーランに無からの世界創造が語られている。ここでイスラムの哲学者は悩む?のだが、最初のキンディーという哲学者はコーランの見解を採り、続いてファーラービーという哲学者は無始(始まり自体が無い)という見解を採る。それでは、アヴィセンナはどうなのか?と言えば…続きは次の講釈で??
(2011 07/08)

ファーラービー、ラージィー、そしてアヴィセンナ


前の項で「続きは次の講釈で」と書いたアヴィセンナだが、まだ?世界の始まりについて話にはならずに、次回持ち越し。

その代わり?、覚えておいて間違いない学者をまた一人。それがラージィー。表記はいろいろ?元来は医者で抽象的な話よりも実学ってな感じの人。
だがというか、であるからというか、イスラム社会ではあるまじきラディカリズムで、宗教は災いの根源であるとか、ムハンマドはイカサマ師であるとか…この人大丈夫だったのか、と思ってしまうほど。そうして科学的な眼差しをとるのだが、果たしてもし当時の思想や社会がもっと成熟?してたならば、世界はどうなっていたのだろうか。
この人に比べ、前回挙げたファーラービーは抽象寄り、そしてアヴィセンナはその両者のいいとこどり?

でも、アヴィセンナは空中浮遊人間論という後にも議論になった思考実験で、デカルトのコギトエルコズム的な発想を得ているので、もし当時の思想と社会が…(以下略)…
(2011 07/11)

自滅の自滅


「イスラム思想史」第3部まで読み終え。流れ的には、キンディー→ファーラービー→アヴィセンナ→ガザーリー→アヴェロスとなり、一番最後のは西方イスラム哲学で第4部の話になる。

まず、宿題。アヴィセンナは世界の無始を主張(要するに時間の始まりは無し…ちなみに、空間の方はイスラムではアヴィセンナに限らず有限と考えていたらしい…)、ガザーリーが「哲学の批判(あるいは自滅)」でその世界の無始とか、神には意志はないとか、とにかくこうしたいろいろなアヴィセンナの論点を批判、そのガザーリーをところ変わってコルトバのアヴェロスが「自滅の自滅」という書物で批判…とともに、アヴィセンナに含まれるアリストテレスではないところを批判…

というわけで、アヴェロスはアリストテレス純粋主義を貫き、それがラテン・アヴェロス主義として西洋中世哲学史に現れるわけだ。
ああ、概略的な話で終わった…
(2011 07/12)

個別者へと至る道筋…


「イスラム思想史」第4部の中心的人物アヴェロスのところを読み終え。今回は「一者は個別者を知りうるか?」という問題に着目。先輩アヴィセンナではまだ少し一者(まあ、神(笑))が関与していた個別者も、アヴェロスになると、当個別者の直前しか知らないということになる。井筒氏は「アヴィセンナは動的、アヴェロスは静的」と、その印象を述べている。

自分的な読後感では、だんだん時が経つにつれて個別者が個人として独立(自立?自律??)していく道筋ではないか、と。この後、トマス・アクィナスを経て、デカルトへと。でもデカルトの有名な定義もその道筋の一つの道標に過ぎないのだろうか、と。
その他、知性論でもそんな個別化への道筋を考えさせられる。
人類の三分類法はどうかなぁ…アヴェロス的には、哲学者しか知ってはいけなかった真理を洩らしてしまったから現代の退廃がある…違う?

アヴェロスの方は、イスラムでは後継者が出てこなくて、西洋中世哲学に引き継がれた…でも、彼の思想は周りのユダヤ人にも影響を与えて、マイモニデスなど、南仏からフランドルへ…スピノザまで??

神を見る神…


「イスラム思想史」本体部分読み終え。
ラストはイブン・アラビー。この人、(本の中では名前しか出てこない)スフラワルディーとともに神秘思想と哲学を合体させたとして、モンゴル来襲以降のイスラム思想第2期の始まりを作った人。生まれ・教育はスペインだけど、著作はダマスカスなど東方で行っている。

さて、ここでは、彼の世界創造論を概観。創造といっても、一者は一者であり、万物があるように見えるのは、あたかもモノをいろんな角度から見たようなものだ、という。そんな一者(まあ、神…)が自分の姿を見る…ここに「見る神」と「見られる神」の分裂が既に起こっている。そして、様々な見方に見えるうちのある見え方が今の万物なのだそうだ。

前のアヴェロスの世界創造論の時にも思ったけど、割りと現在最先端の宇宙物理学でも似たような説なかったかしらん?それとともに今回のイブン・アラビーの場合は、神が神を見る…まるで鏡に映っているかのように…というところから、ラカンの鏡像関係とか発達心理学とかも連想してしまう。世界の「始まり」が、個人の「始まり」と一致するならば、「個体発生は系統発生を繰り返す」?
不謹慎?だが、面白すぎる…
それと、イスラム思想第2期は、最もイスラム独自の思想が生まれたのに関わらず、あまり研究されていない…と最後に井筒氏は述べている。現時点ではどうかな。
この文庫ではおまけ?に、神秘思想家バスターミーとインド哲学に関する論文がついているが…そちらはまた次回…
(2011 07/14)

我、我


予告(してたっけ?)の通り、「イスラム思想史」のおまけ?バスターミーの神秘思想についての論文。これは井筒氏がイランやカナダでの研究を終え、日本に戻ってきた1980年代に書かれたもの。なので、戦前に書いたものが元となっている本文とはかなり時期が開いているもの。

さて、内容はイスラム神秘思想家バスターミーについて。本文では主にギリシャ哲学やキリスト教修道士の思想のイスラム圏流入について書かれていたが、流入していたのは西方からだけではない。東方、すなわちインドからもいろんなものが流入していた。アラビア数字なんてのもその一つじゃないかな?思想についてもそう。ここでは「汝はそれなり」というアートマン(まあ、個別者)とブラフマン(まあ、一者)の融合というか同一化が論点になっている。

今、「というか」で結んだが、この2つの差が結構重要。結合という立場はハッラージの「落入(フルール)」で、神という静寂の海の中に自分という一滴の水滴が流れ込む感じ。キリスト教の受肉を取り入れたのではとされるこの考え方は、時の正統派からは受け入れられず、彼は処刑される(「ヴォルガ・ブルガール旅行記」イブン・ファドラーンのサカリーバ・ブルガールへの公使出発の1年後)。

それに対しバスターミーの方は、自分を滅却することで、神と自分とのペルソナ変換が起こる。標題はそんな境地を表したもので、今まで我、汝というように自分と神との対話をしていたバスターミーが、どちらも我になってしまう。でも結果として、バスターミーは処刑されない。この差が何なのかという問題は重要なのだが、よくわからないところでもある。
後で引用文書いておくので…
(2011 07/15)

昨日のお約束。「イスラム思想史」から、バスターミーの言葉の引用。 

 (神を求めて)私は現世を離脱し・・・(中略)・・・神性の垂れ幕の向う側に進み入った。ところが、私がようやく高御座まで辿りついてみると、どうだろう、驚いたことに高御座は空だったではないか。私はそのままその上に身を投げ下ろして叫んだ、主よ、何処に汝を求めたらよろしいのでしょうか、と。すると、幕が巻き上げられて、私は見たのだ、私が私であることを。そう、私、私だった。 
(p454-455)
 ある人がバスターミーの家の扉をノックする。『誰にご用?』『バスターミーにお目にかかりたいのですが』。その人にバスターミーは言う。『お引きとり下さい。お気の毒だが、この家には神だけしかいない』と 
(p464)


(2011 07/16)

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