見出し画像

「潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆」 大橋幸泰

講談社学術文庫  講談社

元々は講談社選書メチエ。改版して講談社学術文庫へ。

転機としての島原の乱

朝、第1章読み終え。
「伴天連門徒」と呼ばれて一向一揆のような勢力になるのを警戒していた豊臣期ー江戸初期の政策が変化したのは島原の乱から。宣教師や有力土豪への政策から、民衆一般への政策へ。近代期(江戸期)「一揆」と呼ばれたのはこの島原の乱だけだった(とあったけど、本当かな。もっと調べてみたいけど。ここの注に参考文献あり)ので、諸藩もキリシタンがいないこと、苛政がないこと(松倉、寺沢両氏の仕置による)を積極的に示すため、宗門改の前段階をいろいろやっていた。

それが幕府の意向になったのは1650年代以降。この時期の隠れキリシタンは都市に集中?。追訴人(報告した人)はもっと出身多様。というわけでかなりこの時期、流動性が高い社会みたい。最後の「踏絵貸出」とそれに最大限の配慮をした平戸藩というのも興味深かった。
(2019  04/13)

キリシタン本第2章から第4章まで


「切支丹」の言葉が怪しげなもののイメージへと縮小・極端化するのに対し、18世紀中頃から「異端」「違宗」と呼ばれる既成宗教からはみ出していく様々な動きがあって、その中の目立つものが注意を受ける。

京・大阪の加持祈祷グループは著者曰く19世紀に次々生まれる新興宗教になり損ねたものだ、という。この人々は「切支丹」として処罰された江戸中期以降の初の事例。「切支丹宗門来朝実記」という草子本はイメージ貧しくなった切支丹揶揄の本だけれども、既存仏教批判も、ある程度の切支丹の考え方の紹介もある多面的な本。

そして1867年、浦上4番崩れという(これは本物の潜伏キリシタン、「隠れキリシタン発見」の時代でもある)へと流れていく。
(2019  04/16)

村落共同体へ


今日の第5章から潜伏キリシタンの共同体生活について。今までのところは、日本各地のキリシタン以外の「異宗」関連が多かった。

近世江戸時代の村落共同体において、潜伏キリシタンはそれだけで共同体を作っていたわけではなく、またキリシタンという属性だけでなく、様々な他の属性(百姓など)を合わせ持っていた。キリシタンということだけでなく、近世の村落経営や生活についても自分はあまり知らないので、そういう基礎的な本をもっと読んだ方がいいのかな。
土地を担保にした借金が返せなくなり土地所有が変わった土地においても、ある一定期間に元本さえ返せば土地も戻ってくるという代官所の政策が後の地租改正になっていった、とか。具体的な事例としては、前の章で触れられていた「崩れ」の天草と浦上。
(2019  04/17)

 コンフラリアという信仰共同体と村社会という生活共同体が同時にうまく機能している限りでは、潜伏状態を維持することは可能であった。しかし、どちらか一方でもその機能が失われるようになれば、潜伏の維持は難しくなっていく。
(p193)


江戸後期に商品経済が農村内部までに浸透するに及び、村内での格差が拡大し、これまでの村社会が崩壊していく。それに従い、潜伏キリシタンとの摩擦も増えていく、という図式。

近世から近代へ


「潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆」を今さっき読み終えた。気になるところメモ。

1867年の浦上4番崩れのキリシタン信仰表明は、大浦天主堂(西洋諸国のためのもの)ができたからでもあるが、同時に潜伏キリシタンの側の信仰が、従来の現世利益と来世利益の重複から、来世利益をより多く求めるようになったということからも説明できる。この時代は前世紀から続く村の機能悪化が頂点に達した時期で、他の宗教(民間信仰、新興宗教含め)も同様の傾向が見られる。いいじゃないか運動もそうした流れで捉えられるだろう。

明治初期において、禁教政策は未だ続行しており、信仰を表明した者は他藩に預かり、拷問などで600人程度の死者が出たという。西欧列強の非難に対し、明治政府は「村の秩序を守るため」と説明しているが、これは半ば事実で、キリシタンが寺や棄教した者を攻撃する事例もある。
また明治11年には、キリシタンと通じないようにと村八分(以上?)の厳しい通達があったという。

江戸期には「正」の宗教が曖昧なままで、「邪」の宗教は切支丹と決まっていた。が、だんだん「邪」の範囲が拡大していき、その「邪」を取り締まるためには、「正」を決めなくてはならない。そうした流れで、国家神道というものが形成されてきた、というのが著者大橋氏の見立て。

メチエ版(2014)から5年の間に、バチカンでの「マレガ文書」発見(第二次世界大戦前に大分近辺で宣教活動をしたマレガ氏が収集した、藩レベルの通時的史料)や、新井白石と面会したイタリア人宣教師ジョバンニ=バッティスタ=シドッチの遺骨が見つかるという発見があった。
(2019 04/21)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?