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「ロード・ジム(上)」 ジョゼフ・コンラッド

鈴木建三 訳  講談社文芸文庫  講談社

現在は柴田元幸訳(河出文庫)でも読める。

想像力は人間の敵か?


昨日からコンラッド「ロード・ジム」を読み始めた。そこで冒頭近くに出てくるのが「人間の敵であり、狂気の父である想像力」という表現である。ん?

小説の始めの方のキーになるの出来事は、ジムが船員として乗り込んだパトナ号が沈没しそうになった時、巡礼客800人を置き去りにして船長やジム等4人だけで逃げてきた、という事件である。ジムは船の上で声を出して巡礼客を起こそうと思うのだが、その瞬間声が出ない。死は恐くなかった、非常事態が恐かった、と書いてある。非常事態での人々のパニック状態、それを一瞬に想像して声が涸れる。そこで、想像力は狂気の父、人間の敵である、となるわけなのだが。

 男らしく軽蔑し、生涯の半分までも抑えつけ無視してきても、向うで隠れて潜んでいるような弱さからは、われわれのただ一人として安全なものはいないのだ。
(P64)


果たしてそうなのか?それはここから読んでいくことでわかっていくことのだろうか。
(2008 01/01)

コンラッドの文章

 しかしおれは陽の出のことがまだ心に残っていた。透明きわまる虚空の下、海の孤独の中に閉じ込められたこれらの囚人の男。孤独な太陽はこんなつまらぬ生命には一顧も与えず、あたかもこの静寂の大海原に照り映える己の栄光を、さらに高い所から激しく見つめようとするようかのように、天空の、一点曇りのない曲線を登りつめてゆく姿が目に見えるようだった。
(P170−171)


エピグラフのノヴァーリスの言葉も思い出す。読んでいるこちらの脳の中まで、雲の間から差し込んだ陽の光が通り抜けていくかのようだ。コンラッドの文章はなかなか難解で、この文章も半分も理解できていないかもしれないが、鮮明にイメージの残る文章である。
(2008 01/01)

ジムとシュタイン

まずはジムの簡潔な描写から。

 繊細な感受性、繊細な感情、繊細な渇望があったが、それは同時に昇華され理想化された利己心であった。
(P244)


利己的な所は、例えば彼が次々と仕事を変えていく所にも現れている。

 この世に生まれてくる人間は、ちょうど海へ落ちるように夢の中へ落ちこんでゆく。そして空中へ出ようとしてー経験のない者がそうするようにーもがけば、彼は溺れてしまう。ーそうだろ?・・・(中略)・・・助かる方法は、その破壊的な要素に己を委ね、両手と両足の動きによって、深い深い海にその身を支えることだ。
(P296)


上巻の最後の最後の方で、主な登場人物の一人であるシュタインという男が登場する。彼は、冒険家であり商人であり、甲虫や蝶の収集家・博物学者でもあった(最後の蝶の収集家というのは、岩波文庫の「コンラッド短篇集」にも登場する)。例えば、彼の甲虫や蝶の収集は何かの夢の昇華したものなのか?そして、パトナ号の事件以後のジムは、自分の夢に信念にもがき苦しんでいる・・・ところではないだろうか?

「自分だって数々の夢を失ってきた」とシュタインは語り手マーロウ(「闇の奥」の語り手でもある)に語っている。ということで今日で上巻を読み終えた。
(2008 01/03)

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