「小川洋子と読む内田百閒アンソロジー」 内田百閒
小川洋子 編 ちくま文庫
岡山ジュンク堂書店シンフォニーヒルズ店で購入。百閒の、そして小川洋子の故郷。
(2020 11/21)
「冥途」、「件」
買った日に冒頭の「旅愁」を読み、今日「冥途」と「件」を読んだ。
まずは「冥途」
この冒頭に関しての小川氏のコメントはこうなっている。
僅か5ページ程度の小品で、あちらとこちらの世を行き交う。その象徴たる土手。
続いての例の「件」。冒頭は大まかな作者の情景描写から始まると思いきや、何故か全身濡れてたり、朝なのか夕方なのかわからなかったり。この描写がそのまま語り手の人面牛「件」になるのだから、読み手も不安になる。しかも、「冥途」と同じように知っている顔を見つけたり、声聞いたり。
来年は件年?
(2020 12/25)
「尽頭子」、「蜥蜴」
内田百閒アンソロジーから以下、動物が主役?の二篇…「件」も動物といえば動物…
「尽頭子」
「蜥蜴」
各編から面白い表現を抜き出したところだけど、ここで気づく。内田百閒って広所恐怖症? これもまた「件」もそんな感じが漂う。これは絶対にどこかに言及か研究(この二つ濁音あるかないかの違いだね)があるはず。
で、話的には、前者は馬の灸を据える職業の話、後者は熊と牛を闘わせる見世物の話で、両者とも語り手は最後には逃げ出す(後者では失敗するが)。って書いてても、全く読者は謎の中なんだなあ。
(2020 12/26)
「旅順入城式」、「鶴」、「柳撿挍の小閑」
昨日の寝る前に、「梟林記」と「旅順入城式」。今日は「鶴」、「桃葉」、「柳撿挍の小閑」(けんぎょう、と読む。最初の作品に宮城道雄の話があったけど、撿挍とはまさしくそれ。琴の師匠)。
まず昨日分から。
「旅順入城式」…の映像を何かの講堂で見ていて…いったいに内田百閒の語り手はよく泣くのだが、ここでも泣いているうちに兵隊の列に自分も加わっている心持ちになっている。それとも兵隊が皆同じ格好をしていて個人の姿が消えかかっているのが気になったのか。
今日分。
「思い出したくない」ではなく、「思い出してはいけない」事…とは、なんだろうか。小川洋子氏でなくとも気になる。
ここでは川は語り手とは別世界に属しているようだ。そして語り手はそうした別世界を忌避して、逆にその世界に入り込んでいるような。
以上二つの文は「鶴」から。この話も「鶴人間」がそっと登場する奇異な話。
「柳撿挍の小閑」…これまでの長くても10ページいかないくらいの小品が多かったアンソロジー、この作品は中編と言ってもいいくらい。50ページもある。
三木さんも伊進さんも故人。柳撿挍は昼、琴の前でうつらとしていることが散見されたけど、それはこういった人々に会いに行くからか。そして歳を取るたびにそういった人々は増えていく。うたたねはうつつの寝。夢と現実の境が破けた障子のように曖昧。
(2020 12/28)
「雲の脚」、「サラサーテの盤」、「とおぼえ」
今日は人が死んだ思い出の霊魂話?3編。「雲の脚」、「サラサーテの盤」、「とおぼえ」。この3編は、以前借りたちくま文庫の「内田百閒集成4」収録。
「雲の脚」からは久しぶり?に、編者小川洋子氏のコメントから。
兎、サラサーテの盤、氷ラムネ、遠吠え…これらは、次の文の小石と同じようになんらかの異界との通り道。それはともかく、この短編を読んで、語り手ではなく、兎を置いて帰った女の帰り道を思い浮かべるとは、さすが作家。
「サラサーテの盤」。サラサーテ自身の演奏の盤だというが、そこには手違いでサラサーテの肉声も収録されている、という。この肉声を死んだ夫(後妻)として返事をしている女と、何かを待っているその娘。
これは冒頭の章から。小石は本当に転がっていたのか。
「とおぼえ」は、語り手と氷屋の中国系親爺との探り入れながらお互いすれ違っている、というような会話が続く。先頃亡くした妻の姿のようなものを見ている親爺が「あんたどこから来た?」と語り手に尋ねる。読者と語り手とは作品冒頭から同じ道を歩いてきたから、語り手に不信感を持つのが遅れるが、作品末尾になるとさすがに疑いの目を向ける。「ところで、あんた誰?」と。
(2020 12/29)
「布哇の弗」、「他生の縁」、「黄牛」、「長春香」
昨日「布哇の弗」(これで「ハワイのドル」と読む)から「琥珀」まで、今朝「爆撃調査団」から「残夢三昧」を読んで、とりあえず読み切り。
「布哇の弗」
なんてことはない、作家目当ての詐欺師にやられた、という話。これ小説なのか随筆なのか。
「他生の縁」
昔すんでいた下宿と下宿人のあれこれを綴った文。五番の部屋の下宿人一家を「レ婆」、「レ爺」、「レ姉」(レバー、レジー、レネー)と名付けているのが愉快。
ラスト。百閒的世界ここに極まれり、という感じ。小川氏のいう「ジョゼフ・コーネル」って欠片から箱とか作る芸術家だよね?
「黄牛」
これも?百閒的なんだかわからない世界。「応接室に通された」とあってどこかにいるらしいのだけど、どういうことかの説明等無く、ただ道の向こう側の電信柱に黄色い朝鮮牛がつながれているというのみ。で、作品の大半は自分の服装や所持品への取り留めない連想。しかもステッキ以外は安物・・・その連想につきあっていると向かいの牛が「めえ」と鳴く、牛がですよ。そして応接室の主人が入ってくる、ところで終わる。
と小川氏。そう言われれば、そうだなあ・・・
次の「長春香」はこのアンソロジー後半の最大のよみどころだろう(前のも好きだが)
関東大震災とそれによる江東地区の火災の時の話。長野初という女性が百閒のところにドイツ語を習いに来た。上達して、長野の家(本所石原町にある)にも行き、やがて結婚して子供を身籠った、というときに地震と火災が起こる。江東地区は壊滅状態。百閒は石原町へ何度も(9/1にはほぼ毎年)行き、長野を探すが見つからない。
そのうち彼女の追悼会を開くことになり、宮城道雄も参加して、位牌を作ってその前で闇鍋?をすることになる。「宮城先生はなんでも闇鍋になる」「この薩摩芋はまだ煮えてないということはわかるぞ」とか、いろいろ滅茶苦茶やっているうちに、「お初さん一人だけ礼儀正しくてかわいそう」とか言って、蒟蒻で位牌を撫でたり、終いには位牌を二つ折りにして闇鍋に入れたり(これを提案したのは百閒自身だという)・・・とかいう話の後で、p229の文が来る。ということは、長野が地震と火災の詳細を百閒に聞かせることはないわけだ。でも、読者も一瞬うなずいてしまう。百閒は「迷い」や「勘違い」を本当は愛しているのではあるまいか。
「梅雨韻」、「琥珀」、「爆撃調査団」、「桃太郎」、「雀の塒」
「梅雨韻」
猫や芋虫がわけもなく巨大化する。あるいは百閒が小さくなったのか。
「琥珀」
昨日・今日の分にあった「百閒の少年時代」その1。松脂が地中に埋もれて何万年後に琥珀になる。酒屋の百閒の家には松脂ならある。百閒少年は松脂を埋めるのだが、翌日「発掘」してしまう。好きだなあ、こういうの・・・
「爆撃調査団」
これも実際にそういうことがあったのかどうかも気になるのだが、アメリカの調査団が爆撃に関する意識調査?を百閒始め何人かを呼び出して行ったという。紅茶や西洋菓子は期待と違って出ず、なんか横柄に近い感じだったという。が、爆弾と焼夷弾のことを聞いてるのに、雷様のことを滔々と話す百閒もどうかなあ(笑)
「桃太郎」
百閒風(笑)。絵も百閒なのかな? 主役はあくまでも桃(笑)
「雀の塒」(ねぐらと読む)
「百閒の少年時代」その2。今度はしんみり編。夜中に雀の塒を見ようと蔵に梯子を掛ける少年と、傷を負った雀の血に驚く少年。泣く少年と、目をさましてどうしたと心配する祖母。百閒は祖母に溺愛されたという。
「消えた旋律」、「残夢三昧」
「消えた旋律」
テーマというかやってることは太宰の「トンカントン」と似ているけど、趣はだいぶ異なる。何せ、こっちは百閒(笑) 隣が学校で、天気がいいと学校の屋上から子供達が百閒邸に悪罵を浴びせる、という。
こんなこと真顔で書く百閒が羨ましい(前も「東京日記」の感想でそんなこと言ったような)。
百閒の「トンカントン」は「タータカ、タータ、タータカタ」なのだが、これが百閒のいうには、(空襲で焼けた)学校の壁の割れ目に沁み込んで、夜中に聞こえて来る、のだという。
「残夢三昧」
もう後は百閒に存分に夢の話をさせておきましょう(笑)。
いろいろあるけど、百閒の子供の頃に勉強していた時に、横に彼の為に用意していた布団に入って先に寝てしまう母親の姿は、やっぱり書いておきたい気がする。
(2020 12/31)
関連書籍
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?