中山元 訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房
わたしは花火師です-方法について
哲学を厄介払いする-文学について、これまでの軌跡について
批判とは何か-批判と啓蒙
医療化の歴史
近代技術への病院の統合
訳者あとがき
前2つはロジェ=ポール・ドロワとの対話。3つ目は二回目の日本訪問の直後の、フランス哲学協会での講演及びその後の討議。4、5つ目は1974年のブラジルでの連続講演。
「わたしは花火師です」、「哲学を厄介払いする」
「花火師」とはあるけれど、ここで述べているのをみると、軍隊「爆破技師」のことだという。ただこの先、p17には自作が「花火のように楽しい爆発物になること」を夢見る、とあるので敢えてこう訳したと注にある。
前読んだ社会学の本でも見た、フーコーの個人から生まれる、関係性から生まれる権力論。この対話は1975年なので、そろそろ中期「監獄の誕生」が出る辺りか。
(2024 01/08)
「哲学を厄介払いする」…哲学と文学の重なり。関係。
「批判とは何か-批判と啓蒙」
1978年の講演と討議。
この「統治」に対し一部は「統治されたくない」と言い出す。これの技術が批判であり啓蒙である。というのが大雑把なこの講演の内容。ただ、「統治されたくない」という批判は、「統治の限界」を指し示すことにより「統治」とセットでその広がりを支えていた。そこで出てくるのが、カントの「啓蒙とは何か」。
(2024 01/11)
「知と権力」を巡るフーコーによる3つの留意点(2つめ、3つめは続いているが)。
ここなど結構意外な箇所でもあるが、それも「格子」としてみる故の観点であろう。でも「当面」ではあるのね。
…後半はなかなかほぐれず一面的理解(してるの?)に留まってしまった、と思う。特に、講演参加者の質疑応答の部分は何が問題なのかもよくわからず…とりあえず、「啓蒙」という概念の問題と、ソクラテスの知とフーコーの考古学で取り上げる知の連続性の問題が、多く取り上げられていたような気がする…
(2024 01/12)
「医療化の歴史」
(1974年10月、リオデジャネイロ大学での講演)
身体の社会化とはいかなるものか。統計的に、社会・国家の戦略に組み込まれる、ということをすぐ想像するが…
前ページには、当初、医学的権力は、人間の身体を労働力としては重視していなかったと書いてある。それが重視されるのが3つめの段階になるのか。これから先の論述は、この段階を追うことになる。舞台は、最初はドイツ、続いてフランス、最後はイギリス。
ドイツでは各地に所領が分割されていたことにより、各々競争し他領と比較・均衡をとることが重要だった。故に官房学に寄り添った国家医学が発達した。国家による標準化としてドイツでは医者が対象となり、同時期のフランスでは大砲と教師を標準化(個人化)の対象とした。
これはフランスの都市の医学。こうして都市の医学は発展し、複数の貧民・富裕層共住の街の併存たる都市から都市計画へと移行、墓地の郊外移転、街路の拡張、上下水道管理などが行われる。この都市医学(公衆衛生)は、環境に働きかけるものであり、そこに住む人間を対象としたものではなかった。
イギリス、労働力の医学。18世紀までの都市では、貧民はそれほど多くなく、かつ彼らが、今では公共サービスと思われているもの(郵便・ごみ収集など)を行っていたので有用だった(そういえば、SF小説などで、主人公を助ける地下組織みたいなのが西洋小説ではたまにあるが、その原型はこうした街を隅々まで知っている貧困者たちなのだろうか)。だが19世紀になると、公共サービスが発達し貧民の仕事を奪い、フランス革命の影響を受けた都市騒擾を起こしたりして、都市上層部は、貧民の管理の必要性を感じるようになり、労働力と管理の医学を発展させる。そのプロセスが救貧法であり保健所システムであった。こうした医療、例えば健康診断などに反発する層は一定数いて、英米では主に分離派の一派が「病気になる権利」を主張し闘争する。カトリック圏では、その代わりルルドなどへの巡礼地が新たに作られ巡礼者が増加する、とフーコーは見ている。
「近代技術への病院の統合」
(1974年10月、リオデジャネイロ大学での講演…上の講演の次)
この講演は「病院と規律の誕生」。
軍隊や学校とともに、病院もその一例として機能している。病院の前身として語られる施療院(死を迎えるために訪れる)とは全く異なる思想。
引用文がまるで規律三部作(笑)。それはともかく、これは前の講演のp147の文章と呼応している箇所でもある。
雪か霙か、それが降る中、ようやくこの本読み終わり。
(2024 01/13)
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