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「翻訳の日本語」 川村二郎・池内紀

中公文庫  中央公論新社

川村二郎と池内紀


もともと「日本語の世界」というシリーズ第15回の分冊文庫化。川村二郎と池内紀というドイツ文学では必ずお世話になる二人の著名な翻訳家(他にもいろいろ)。12才ほど川村氏の方が年長だから一世代くらいは違うのかな。でも、この本では二人が協力して書いているのではなく、前半部分川村氏、後半部分池内氏と役割分担しているみたい。また話題はドイツ物に限らず、シェークスピアやボードレールなど様々なジャンルに富んでいる。

冒頭の岩野泡鳴の直訳式翻訳は「清新さ」を求めるというのはわかるけど、さすがにどうかなあ。上田敏の訳詩を漱石が「猫」の中で揶揄したけれど、敏は全く原詩を「意訳・創作」したわけではなく、原詩の持つ雰囲気やリズムを考えてそれをやや古風な言葉に翻訳した、というのが川村氏の考え。
(2016 12/11)

翻訳の三方向性


「翻訳の日本語」3、4章と進む。どうやらここで提示したい翻訳姿勢は三方向あるみたい…
直訳で外国語を読者にわからせるようにすべき(吉川氏)
意訳して日本語として味わう詩作品にすべき(上田敏、大山定一)
外国語を日本語の文章可能性を揺り動かし広げる契機とすべき(折口信夫、ゲーテ、ベンヤミン)
(篠田一士がどこに位置するのかちょっと整理できてない)
著者川村氏がどこに位置しているのか、さまよってよくわからなくしているようにも見える。
岩野氏が3つ目というのだけど…うーむ。
ベンヤミンの「翻訳者の使命」など、第三の方向性が一番の理想なんだろうけど、言うは易し行うは…という性格のものだろう。でも、ヨーロッパ諸語の文学や思想などがいっぺんに入ってきた明治期などはそうした例が結構あったのでは…というわけなのか、次の章は森林太郎(鴎外)についてになる。

一つおまけ。著者川村氏はスペイン語は全くわからぬまま、この時点から20年前(1960年代頃か…ならばわからなくもないけど)にはスペイン語専門家は誰も着目してなかったボルヘスをドイツ語訳や英語訳から訳した、という。

で、第二の方向性の大山定一の訳詩(スイスのマイヤーの作品)

マイヤー(マイエル)の「鎮魂歌」

 太陽が西の地平にしづむとき
 村の屋根からすつかり日がかげると
 たそがれが悲しい教会の鐘を打ちならし
 たがひに近所の村々は挨拶して 夕靄のなかに消えてしまふ

 あかるい丘のうへの村がひとつ
 いつまでも鐘をならさない

 やがてそれもしづかに鳴りだしたやうだ
 聞くがよい 僕のたそがれの鐘がなっている
(p70)


(2016 12/12)

鴎外と二葉亭


「翻訳の日本語」昨日は明治期の名訳と言われ、後世に大きく影響を残した森鴎外と二葉亭四迷について。鴎外は文語体と口語体を使い分け、翻訳というものをさほど重要視してない感じ。一方二葉亭の方は言文一致に苦労し鴎外よりは武骨だけど、それが時に新しい驚きを呼ぶ…という。二葉亭の方が岩野型に近いのかな。
著者川村氏は何回も鴎外の「優等生的小人性」を揶揄しているけれど、それで名訳や名作をたくさん残しているのが謎だとも。
(2016 12/14)

詩と散文の翻訳


「翻訳の日本語」。池内氏パートに入る。こちらは「翻訳と日本語」になっている。詩の翻訳は散文より難しいと言われているが、実は散文の方が難しいのでは、という。詩は世界を越え、散文は文化を引きずるから、詩には名訳があるが、散文にはない…そうなのかなあ。
ボードレールのある詩の翻訳を7つくらい挙げて、2箇所全て同じ言葉を使ったところがある。微妙には違うけれど、全ての訳が同じなのはどうかなあ、と池内氏はしている。
(2016 12/16)

ヴェニスの商人と天才の定義


シェークスピアの「ヴェニスの商人」引きながら翻訳を見る…というより、池内氏のシャイロックへの思い入れが語られる。確かにこの劇は最初にシャイロックありきなんだけど、シェークスピア自身が高利貸ししてたとは知らなかった。また、裁判の判決のあとシェークスピアはシャイロックにいろいろ反論させていたが、後のユダヤ人嫌いの筆記者等により削除されたのでは、と池内氏。

で、この章の最後に天才とは何かというテーマが語られる。天才とは誰にもできないことをできる人のことではない。誰でもできることを執拗に繰り返して自分の世界を作り上げる人のことだ、という。

 天才の独創性は、強いていえば、蟻のように働いて倦むことのないその勤勉さにある。ひとりひそかに古きをたずね、新しきをたたいて、蜂のようにせっせと盗む。
天才は例外的な超特大でもなんでもない。むしろ正しい等身大とでもいうべきものだ。
むしろ、だれもが、こう思う。自分がこれに似ていないのは偶然にすぎない、と。驚くべきことは、ただ一点だ。この等身大の「正常な」人間が、だれにも似ていないことであり、その人のつくったものが、だれにもできないということだ。
(p316-317)


シェークスピアもその他の天才も、当時はそこにいた一人の人間であり、そばにいた人々も全く普通にやり取りしていた。その人が亡くなり、作品が作者の個性から離れ一人歩きするようになってから、それが何であるかわかる。
(2016 12/17)

「翻訳の日本語」読了


まずは神西清のところから

 逆にいえば、こうだろう。自分がしようとすること、その可能性について考えはじめたとき、すでにしてそれができない。建てる前に崩壊のプロセスが始まっている。まだ全然建てていない建物の打ち壊しが始まっている。
(p369)

翻訳の不可能性に悩んだエッセイを書いた神西清…ただ、むかでがどうやって歩くか考えはじめたときという話を連想すると、これもある程度一般性をもつ話か。

 上田敏と堀口大学とのちがいは、いわば授業中と放課後のちがいである。
(p383)


ここの二人のグールモンの「髪」あるいは「毛」の翻訳比較は、この本の中でもかなりわかりやすい例。明治期の近代国語の確立に取り組んだ上田敏と、そういう考えとは無縁な堀口大学。しかも堀口は外交官としてフランスやメキシコなどに滞在し外からの視点も持ち合わせている。こうした気負いの無さを第二世代の始まりとすれば、池内氏のあとがきにある大久保康雄工房?辺りからはは第三世代ということになろう…で、今は第四世代?
(2016 12/18)

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