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「ニセ札つかいの手記 武田泰淳異色短篇集」 武田泰淳

中公文庫  中央公論新社

めがね
「ゴジラ」の来る夜
空間の犯罪
女の部屋
白昼の通り魔
誰を方舟に残すか
ニセ札つかいの手記

編者あとがき 高崎俊夫
作品初出一覧


「めがね」、「「ゴジラ」の来る夜」、「空間の犯罪」

まずは最初の3つ。
この中で面白いというか笑えるのは、「「ゴジラ」の来る夜」。この2年後には、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の共同でモスラの原作書いている。それはともかく、ゴジラ上陸の東京防衛隊?として派遣される…というけど、こんな病院の建物でこんなメンバー(視点人物の経済界人物から、その「敵」労働組合長、新興宗教教祖、脱獄の達人、視点人物の秘書で女探偵?、そしてゴジラ映画女優…そんな中、殺人事件が起こり教祖が殺される、探偵が言うには強烈な睡眠薬で集団で教祖を殺したとか…
(そしてゴジラはやはり水爆とかの象徴らしい)

「めがね」は語り手が誰なのか、語り口がやはり気になる。杉という男の語りでもないし、病床の女(こちらは名前も提示されず)でもない。自分だったらもう少し視覚に突っ込んだ幻想入れるだろうけれど、作者は違う方向に持っていきたいのか。「カメラオブスクーラ」とか「モレルの発明」とかと並ぶ作品になった可能性も。

「空間の犯罪」。空間での犯罪でも、空間を巡る犯罪でもなく、「空間が犯罪を犯した」という主語的な叙述と自分はとりたい。八一が足を折った鬼瓦の落下も、ビルの7階から物が落ちて赤ん坊に落下させてしまったのも、それから郊外のタンクの足場に登って落下事故になったのも、空間による幻惑作用が起きたためだと。

 「落ちてもいい」と思った。「落ちるのも登るのも同じだ」そんな気もした。どちらにしても空気のみちた空間があるだけだった。
(p109)

「女の部屋」、「白昼の通り魔」、「誰を方舟に残すか」


「女の部屋」はニコライ聖堂の鐘の音が聞こえるという下宿に住む女を視点に、周りの朝鮮系の人々が朝鮮戦争にざわつく光景を描く。兄弟内でも「北派」と「南派」に分かれて言い争いしてたり。

「白昼の通り魔」は大島渚が映画化。制作しようとした時、既にこの作品が収録されている本は絶版で、東京中探しても4冊しかなかった、という。話は長野県の貧しい村でも、手記の書き手の娘が一度男と心中し、知り合いでもあった通り魔の犯人に襲われて、その後この犯人の妻となっていた先生とまた心中するが、その旅自分だけ助かり、この手記書いていた時の病気治って生きていく、という筋。

「誰を方舟に残すか」は、そのままの話…最初はアメリカのB級映画2作品、密林で不時着した飛行機と嵐で救命ボートを出す、どちらも誰が優先され誰が置き去りにされたり海に落とされるのかという選択。後半はノアと大洪水とその後をコミカルに哲学的に描く。次の作品でもそうだけど、急に戯曲っぽくなる即興ぶりが楽しい。

「ニセ札つかいの手記」

最後は標題作になっている、「ニセ札つかいの手記」。「ニセ札だ」と渡されて半額使い半額返す、という妙な付き合いで繋がっている源さんと語り手。でも実際はニセ札ではなかった。では源さんは何をしたかったのか。そしてなぜ唐突に打ち切ったのか。

 チョコレートその他のお菓子類、おでん、石やき芋、のしいか、やきいか、鯛やき、おせんべいなどの純日本式の食物のほかに…(中略)…しまいにはオコワ飯などの入ったパンも買える。それだのに、全然楽しくないという源さんの気持が、私などには、とってもわかりっこなかった。
(p225)


普通に言えば「源さんはいつも楽しくないというがその気持は私にはわからない」とかなるはずなのだけど、その前に5行くらいかけて美味しいもの流行の食べ物を列挙しているのが可笑しい。この手記はこの語り口がずっと続いて楽しい。
この小説のテーマの一つはニセものほんもの、というところ。作品の中盤、大樽という居酒屋での隣あった客含めての議論?はなかなか興味深い。

 ほんものは毎日どこにでもころがってるよ。手から手へ渡って消えちまうにしてもだよ。おれなんか一日に本物なら二十枚や三十枚あつかってるさ。ニセモノときたら目を皿のようにしたって、まだ一回もお目にかかったことねえや
(p248)

 要するに品物は、ニセだったら痛痒しないんだ。お札は品物じゃねえ。だから、ニセ札でも通用するんだわさ
(p250-251)


上は牛乳屋の、下は大工職人。大工はこの後、「千円札というやつは紙のくせにオサツですって面してるから気に食わない」と続ける。

最後にもう一箇所、この後、語り手とその甥(社会運動側にもそれを取り締まる側にも平気でつく、エネルギーだけがあり余っている若者)、源さんとその娘(妻はいないらしい)の4人でタマテック、タマ動物園、タマ霊園へドライブ旅行にいくところで、甥が「月」という小説を読まされたと言うセリフから。

 それに、意味くっつけるから、厭なんだ。何もことさら意味くっつけるこたねえじゃねえかよ。
(p264)


この小説家、モデルはいるのだろうか…
とにかく、ヘンリー・ジェイムズの「ほんもの」と並ぶ、ニセモノテーマの良品であることは確かだろう。

丸谷才一他の「文学全集を立ち上げる」で、上海で代書屋をやったことがあるから、頭を空っぽにして書ける、と言っていたのが、今の自分の武田泰淳の理解にぴったりくる。
(2023 02/23)

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