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「風の十二方位」 アーシュラ・K・ル・グィン

小尾芙佐 訳  ハヤカワ文庫SF    早川書房

ディストピアから去る人々


若島氏の「乱視読者のSF講義」を読んでいる。それぞれに気になるけど、9回目のル・グィン「オメラスから歩み去る人々」、ディストピアの短編はやはり?特に気になる。街の記述と記述の記述というメタレベルの2つの構造。それからディストピア(ユートビア)はどのように(読者の想像の視点を入れたとしても)地下の犠牲となる子供達がいる限り実現はしない。そしてこの記述された街にも、また作家自身もこの街を去り次の街へ、実験へ向かう為に去る人間がいる…など。 
(2016 01/18)

ひょっとしたらディストピアではないかも
「風の十二方位」買ってきて、昨晩「オメラス」読んでみたが、感想はタイトルの通り。作者はオメラスの人々を批判しているのではなくて、こうやって個人の力ではどうにもならないことが社会の片隅には必ずある、ということを知って人は大人になっていく、という指摘をしたいのではないかと思った。これを認めるのは(大人になってからでも)かなり困難なこと。そういう経験を通して優しさというものを身につけていく…
…だからこそ、オメラスから去る人々はまたそれ以上の決意を持つわけなのだ…

と、まあそういう感想は自分内のものであって、ディストピア小説、あるいは哲学小説(作者の言葉では「サイコミス(心の神話)」)として書かれたのは確からしい。作品の前置きでウィリアム・ジェームズの「道徳哲学者と道徳哲学」に書かれていたアイディアを発展させたと書いている。また「オメラス」という名前は道路標識にあった「オレゴン州セイラム」という綴りの部分逆読みだという。
(2016 02/07)

「セムリの首飾り」、「巴里は四月」、「マスターズ」、「暗闇の箱」


「セムリの首飾り」、作者がかなりの「ロマンティシズム」があるというこの作品。視点と語りの二重性、SF(未来)と植民主義の二重性などメタレベルの特徴が見られる。 
(2016 02/11)

昨日読んだル・グィンの「巴里は四月」と「マスターズ」。前者より後者の方がなんだかわからない度が高くて質が高そうに見えるのは、自分の認識不足でしょうが(笑)、前者はアメリカのフランス文学者と中世錬金術士?だけに人物を絞った方が良かったようにも思える。ガリア時代の奴隷少女と遠未来の考古学者もそれぞれに興味は引くけど。
(2016 03/20)

「暗闇の箱」はパンドラの匣みたいな位置付けなのかな、物語を構想したきっかけが楽しい。
(2016 03/23)

樹上性と二重性


ル・グィンの短編集から次の二編は「ゲド戦記」と関わりあるというもの。だけどそれ読んでいない自分は、最初の方の短編の作者の言う「樹上性」が気になる。ある評者によればル・グィンの作品全体を通してある森の主題。後の方の短編では出来損ない?で村人と妙な関係で取り持っている魔法使いという設定が面白かった。
(というか、作品名書いてない…二重性とは?)
(2016 03/25)

「風の十二方位」は「冬の王」…なんだけど、これまた眠い中に読むには難易度高(笑)。両性具有、三人称代名詞、記憶や意志の人的介入、高速移動と時間論…しかもその代名詞を短編集に入れる機会に書き換えている。
(2016 03/26)

ドラッグ小説


…というものを、初めて読んだ。
ル・グィンの「グッド・トリップ」。文体も今までのSF的ル・グィンとは全く異なる。本人はヘビースモーカーらしい。

 ふたりは歩きだした、外なる火と内なる火との間にかけ渡した張り綱の上を。
(p214)


ドラッグの効果はこういうものなのか…ただ、この短編のミソはドラッグを飲み込まないままトリップしてしまった、というところにあるので…
(2016 04/06)

クローンの孤独


昨日はル・グィンの短編集から「九つのいのち」を。火山・地震が頻発する惑星でウラニウム鉱山探査をする二人の前に、派遣された9人のクローン人間が現れる。この9人はやがて地震で起こった落盤事故で一人を除き死んでしまう。残された一人は今までの周り全員自分という環境から切り離されて…という話。最後に彼が「おやすみ」を言う場面が印象的。
で、元の二人の方なのだが、この話のバックには地球での大規模な飢餓というのがあるらしい。そこでのウェールズとアイルランドとの対策の違いが語られているのだけど…この短編内での必要性という意味ではあまりないから、これもル・グィンお得意の前の話からの派生物語なのだろうか(まあ、意味的つながりが全くないとも言えないけど…今考えると…)
(2016 06/30)

「もの」


ル・グィン「もの」。これぞサイコミス(心の神話)?
なんだか終末迫っている海辺の町。町の人の大部分は上の会堂で祈っているか、下でとにかく破壊しつくしているかのいずれかだけど、煉瓦職人は海中に煉瓦の道を作り続ける。そこに残っていたやもめの女と子供が寄り添って…
さて、引用は本文からではなく、作者の説明書きから。

 あなたが使うもの、あなたが所有し、そして逆にそれらに所有されるもの、あなたがそれらを材料にして築き上げるものー煉瓦、言葉。あなたはそれらを使って家を建て、町を作り、土手道を築く。しかし、建物はいつかは崩れ落ち、土手道もむこうまで行きつくことはない。そこに横たわる深淵を、裂け目を、最後の一歩を、あなたは踏み越えなくてはならない。
(p275ー276)


読んでいる時はとりあえず何かの象徴的な創世神話だと思っていたけど、今気づいたのだけど、これは書かれている途中の作品内部の世界である、とも言えないだろうか。
(2016 07/02)

・・・とサルトルは言った
「記憶への旅」。これもドラッグ小説なのだという。自分には何か半ば文明が崩壊した地球に戻ってきた宇宙飛行士みたいに思えたけど。ちなみにサルトルが言ったのは「地獄とは他者のことである」だそうな。
もひとつちなみにこの作品に関しては前書きの方がより面白いかも?
(2016 07/03)

ネットワーク生命体


今日はル・グィン短編集から「帝国よりも大きくゆるやかに」と「地底の星」を。

前者は作者がとある評者から「このタイトルは作品の内容をかなり直接に言い当て過ぎているので変えた方がよい」とアドバイスしたという。それを前書きで知ってから読んだのだけど、さっぱりこの惑星探査の話と帝国が結び付かない。それより解説にあったル・グィンと「樹」のテーマの結び付きが一番濃厚に見られるのがこの作品。何せ地下の根ネットワークや寄生植物を介したネットワークがこの惑星全体を一つの「生命体」にさせている。生命体に鍵括弧ついているのはこんな「生命体」だから…

 知覚とか知能とかいうものは、目に見えるものではない。脳細胞から見つけだすこともできないし、抽出できるものでもない。知覚とは結合した細胞の機能です。いいかえれば連結しているもの、連続しているものです。
(p349)


感情は持たないが恐怖は感じることのできる、この「生命体」。地球外生命体との接触といえば「ソラリス」だけど、ある側面では「ソラリス」よりレムの意図に近い?

「地底の星」は「マスターズ」みたいな科学と伝説的物語の融合。これも天文学者が地下水について語っているところなど、脳の構造というか意識というかそんなイメージなのかなあ。直線的な坑道と浸透して下に向かう水、そして地底の灯り、星…
(2016 08/22)

視覚と聴覚のある差異


ル・グィン短編集より「視野」。火星探査とヒューストン・ニューヨークという今までの短編よりもかなり身近なところ。内容はやはり濃厚な心理学実験を含むSF。
火星のとある場所でなんだか宗教的啓示のようなものを受けて病的になってしまった2人の飛行士。1人は聴覚にもう1人は視覚に。両者とも耳栓や目隠しで一時シャットダウンして周りとコミュニケーションが取れるようにはなるが、聴覚の人は耳栓をとってもそれとなんとか折り合いをつけ日常生活に復帰したが、視覚の人は目隠しをとってもうまく対応できなくなり最終的には自殺してしまう。宗教的啓示は視覚からでないと周りに伝達できない(確かにキリストもムハンマドも啓示は言葉で受け伝えた)。
解説にはル・グィンの超越的神というものに対して距離を置くということが書いてあったが、どうだろうか。
440ページ越え。
(2016 08/23)

「相対性」と「革命前夜」


…を昨夜読んで、ル・グィンの「風の十二方位」(確か…)を読み終えた。
「相対性」は遠近法ではなく、樹自体が大きくなったり小さくなったりする、という発想の今まで読んだ中でのル・グィンにしては珍しく?ユーモア色あるもの。でも、最後は絶対的神の否定というル・グィン的主題に到達するのだけど…

「革命前夜」は「所有せざる人々」の過去の話。元革命家の老女がこの革命社会で尊敬されつつ、孤独であるという一日を描いたもの。
(2016 08/24)

「革命前夜」から

 人間、何かをしなくてはいられないものだ。
(p489)

 目まいがしたが、もはや倒れることを恐れてはいなかった。前方に、あそこに、ひからびた白い花々が、夕闇の草原でおじぎをし、ささやいている。七十二歳の今日にいたるまで、その花の名を覚えるひまは、ついぞなかった。
(p506)


後者は作品の結語。「ダロウェイ夫人」のラストを思い出させる、主人公の死をも予感させる、そんな文章。白い花々の名は、死なのか、それとも彼女自身か。
(2016 08/28)

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