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「誕生日」 カルロス・フェンテス

八重樫克彦、八重樫由貴子 訳  作品社

解説と本文を数ページ。老人と女が独房のような窓を煉瓦で覆われている部屋にいる場面と、多分イギリスで息子ジョージの誕生日祝いのパーティをしている場面が重複しながら交互に展開、というのがこの数ページの進み。どうやら、この老人もジョージみたいなんだけど、それが「だからこの老人の場面が、誕生日パーティの場面より時間的に後なんだ」という読者の期待を揺さぶり、溶解するところにこの作品の意図がある。

老人は中世スコラ哲学で異端とされたブラバンのシゲルスとも関連させているらしい。後は聖書批判、パロディ化。

 われわれは皆、自分でもあり、他人でもあり、歴史上のあらゆる場所、時代にも属している。維持と分裂を繰り返す世界で起こるさまざまなできごとと同様、人間も時間も、過去にそうであったもの、そうであったかもしれないもの、これからそうなるかもしれないものの総体なのだと思う
(p140 解説から)


(2019 07/28)

湯荘白樺から自宅へ。今日読み終わり。内容全て理解したなどとはとても思えないけど、結構楽しめた。
時間的にも空間的にも複数の存在が一人の人物(としておこう)に流れ込むというのは、「澄みわたる大地」のシエゴフエブスなどフェンテス作品ではおなじみ。
ボルヘスの『円環の廃墟』での夢見る者と見られる者の一体化。イエスの時代、ブラバンのシゲルスの時代、そして当時メキシコを揺るがした「トラテロルコの大虐殺」の影など、物語の表へあるいは裏へ、その流れに浸って流されてゆく快楽。

  自分を超えたずっと向こうの あちらかこちらかの岸辺で
  わたしは心から待ち望む 自分自身の到着を
(p168  オクタビオ・パス『東斜面』より)


(2019 08/06)

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