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「翻訳文学ブックカフェ」 新元良一

本の雑誌社

「翻訳文学ブックカフェⅡ」新元良一と翻訳者との対談(池袋ジュンク堂でのイベントの記録)
対する翻訳者の面々(本の並び順)…

高見浩
岸本佐知子
沼野充義
黒原敏行
佐々田雅子
高橋源一郎
柴田元幸
渡辺佐智江
栩木伸明
岩本正恵
小山太一
堀江敏幸
あとがき

高見浩の章

新潮文庫ヘミングウェイの翻訳で知られる。ヘミングウェイ20代のまだ完成されていない、そしてマッチョというイメージより、レズビアンを含めた女性を持つような時期の作品を翻訳しているという。
(2021 03/21)

沼野充義の章


ソラリス翻訳について。「聖なるものに誓って」と訳したところに、一読者からこなれてないというクレーム?が来た。沼野氏にとってもここはちょっと気になる箇所であったらしい。社会主義国であった当時のポーランドで「聖なる」という単語を出すのは危険なことでもあった。それを前訳のように「指切り」と訳すのはこなれる訳ではあるけれど問題がある、という。
(2021 03/27)

柴田元幸の章

このジュンク堂翻訳文学カフェでは3回目らしい。この時はリチャード・パワーズの「囚人のジレンマ」の話が主。「三人の農夫」がデビュー作、この「囚人のジレンマ」が2作目。「三人の農夫」はトップダウン的な書き方、「囚人のジレンマ」はボトムダウン的な書き方なのだそう(パワーズ自身談)。現代アメリカ文学は、スタイルはどんどん幻想化しているけど、テーマとしては家族を取り上げるのが増えているという。「囚人のジレンマ」もそう。でも主流?のホームドラマ的な理想との乖離というのとは違って、パワーズの場合は家族という中で自分の場所を確保していく、そしてそれが外からの圧力で崩れていくというものらしい。これと「囚人のジレンマ」というタイトルを合わせると、だんだん見えてきた?
(2021 03/28)

岸本佐知子の章


この時はちょうど「灯台守の物語」を訳している時。

 私は翻訳するときでも、文章を書くときでも、音楽が一切だめなんです。どうも使っている頭の部位が、聴覚を司っているところと同じらしくて。
(p35)

 あと、この作家は赤ん坊にすごくこだわりがあるんです。やたらと赤ん坊の話が出てくるんですが、それは母性とは関係ない気がする。むしろ赤ん坊を一種の珍現象と見ているところがあって、だからこそ逆に、「産まれない世界」のような本当に切ない話が書けるのかもしれません。
(p37)
(ジュディ・バドニッツ「空中スキップ」について)


リディア・ディヴィスの「ほとんど記憶のない女」は、実は岸本氏のアマゾンのオススメ本システム(アメリカ版だろう)で知った。ディヴィスもバドニッツも毛色は違うが「言葉でっかち」の作品だという。あとは、ジョージ・ソウンダース「短くも恐るべきフィルの天下」? 超小国とそれを取り囲んでいる大国の戦争ごっこ?
(2021 03/30)

黒原敏行の章

今日は黒原氏と佐々田氏。
黒原氏はコーマック・マッカーシーの「すべての美しい馬」、「越境」、「平原の町」の三部作を中心に。他にはジョナサン・フランゼン「コレクションズ」、アン・マイクルズ「儚い光」など。黒原氏は特徴ある文体の作品翻訳の時に、似ている日本文学作品(マッカーシーだったら中上健次とか)を打ち込みとかして参考にするらしい(違いの方がよく出るらしいけど)。

 人間が戦争についてどう考えようと関係ないんだ、戦争とは人間が登場する前からあった。そしてその最高のやり手を待っていたんだと。
(p94 マッカーシーの他の作品の登場人物の発言らしい)

佐々田雅子の章

佐々田氏はトルーマン・カポーティ「冷血」。カポーティ自身が名付けたノンフィクション・ノベル代表作。カポーティは人にいろいろインタビューしてそのネタを再構成して作品作る。インタビューもカポーティは得意で、とにかく最初に自分自身のことを相手に語ることから始めるという。
佐々田氏のキャリア中、既訳がある作品を訳したのはこれが初めて。翻訳を始めようとして翻訳学校に4年通う。徒弟制中は落語の前座と同じで師匠のコピーに専念する。そして下訳を師匠に上げる中訳に変えるとかして、最終的にはミステリマガジン→角川→新潮というコースに載せるというもの。佐々田氏の他の翻訳として、ノワール系のジェイムズ・エルロイなどがある。

 権力が腐敗するのではない。腐敗それ自体が権力なのだ
(p111 エルロイの言葉)


(2021 03/31)

堀江敏幸の章


初めて訳したのはモディアノ。初めて本になったのがギベール? ジャック・レダ「パリの廃墟」。
堀江氏の大学院時代の共通認識。現存する作家の研究はやめた方がいい…というのは、今は崩れた?

 そういう意味で、書いている文面の一人称と、書いている自分自身とのあいだに、いつもズレが生じている。
(p254)

 しかし、そもそも書き言葉は、全部嘘だと思うんですよ。人を騙すための嘘じゃなくて、誠実な嘘。
(p255)


(2021 04/02)

栩木伸明の章

残り5章をまとめ読み。それぞれ少しだけ(栩木伸明だけ先に来てるのは、こういう順番で読んだから)
というわけで…
キアラン・カーソン「琥珀捕り」

 (詩の翻訳は)字が少ないから少ない字の日本語にするとおいしいところがほとんどこぼれ落ちてしまって、カスみたいになっちゃうんですね。骨というか、魚の残骸みたいな。
(p198)


栩木氏は詩についての論も多い。

高橋源一郎の章


ジェイ・マキナニー「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」

 言葉の輸入に関しても、日本語は二千年間、他者の文物を輸入しては無限定に交配しまくってきた。これこそがこの国を長生きさせてきた原理みたいなものだと僕は思います。だから元気がなくなったらどんどん輸入しちゃえばいいんですよ。そしてがんがん異種交配してキメラのような小説がもっと出てくればいいと思う。
(p130)


キメラみたいな小説、出てきている?

渡辺佐智江の章


ジム・クレイス「死んでいる」「食糧棚」「四十日」
キャシー・アッカー「血みどろ贓物ハイスクール」
アッカーの本を翻訳したいと思ったものの、まだ翻訳の仕事は一度も経験ない。再度イギリスへ行った時、「今度あなたの本を日本で紹介させていただきます」などとテキトーなことをそれもトイレの中で作家本人に言って、最終的に出たのは白水社。性的言葉もそのままに。

岩本正恵の章


エリザベス・ギルバート「巡礼者たち」
ローリー・ムーア「アメリカの鳥たち」
キャスリン・ハリソン「キス」(新潮クレスト・ブックス第1冊目)

 その言葉遊びとか、どうしようもないユーモアとか、ヘンなダジャレを言っちゃったりというのは、登場人物たちの切実な痛みがあってこそのもので、そこをきちんと訳していかないといけないんだ、ということに気づくまでが長くて。で、それに気がついたけれども納得いく翻訳ができるまでがまた長かったという。
(p211)


こういう翻訳表現の名手だと思う岩本氏の言葉…

小山太一の章


イアン・マキューアン「贖罪」「アムステルダム」「愛の続き」
ベルハム・グレンヴィル・ウッドハウス「ジーヴズの事件簿」「マリナー氏の冒険譚」(岩永正勝氏との共訳、岩永氏は鉄鋼の資源開発とかしてる人。この人が持ってきた「熱い訳」を小山氏が添削する、という形)
早川書房から出ている浅倉久志編の「ユーモア・スケッチ傑作展」が高校の時好きで、自分でも訳し、それを浅倉氏に送った(添削入っていて、「空回りしている気がする」、と書いてあったそう)
大学4年の時、柴田元幸氏の「柴田翻訳読書会」(当時、岸本佐知子、都甲幸治なども連ねる豪華メンバーだった)に参加。

 柴田先生の赤の入れ方っていうのは、徹底的に私たちのクセを取っていく。クセとか、無駄な部分とか、変な力の入っている部分とか。
(p234)


(2021 04/03)

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