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「二十世紀フランス文学」 ドミニク・ラバテ

三ツ堀広一郎 訳  文庫クセジュ  白水社

 つまり二十世紀という「疑念の時代」にあって、小説の生は・・・(中略)・・・もっぱら問題提起から成り立っている。小説のさまざまな形式上の変化に意味をあたえ、またそうした変化を誘発する問題提起から成り立っているのである。
 こうした柔軟性のゆえに小説は、技術と速度と暴力の時代にあって、絶えず変容する世界の複雑な様相を表現するのに特別ふさわしい形式なのである。(p8)

20世紀フランス文学案内書


今日は文庫クセジュの「20世紀フランス文学」を。
今は2つの世界大戦間のところまで進み進めた。ながーい小説の2つの類型、19世紀的因果論から自由になろうとする小説言説、そして戦争が強要した新しい小説世界…ときて、今はセリーヌにさしかかっている。
プルーストにしても、ジッドにしても、簡潔明瞭に論じられているので、いつでも手の届くところにおきたい一冊…という感じ。特に今のところ気になるのはベルナノス。「田舎司祭なんとか」とか「ムーシェなんとか」とか…
1968年以降のところも楽しみ。
(2010 08/30)

セリーヌ後期ってどうなんだろう?


「20世紀フランス文学」だが、第一部はセリーヌで終わっている。セリーヌといえば、「夜の果てへの旅」と「なしくずしの死」だけれども、いわゆる後期の三部作ってどうなんだろう?それらとどのように違うのかな?読む価値というか後期の独自性があるものなのかな?
セリーヌに関しては、評価は高いものの、やはりなんかいろいろと迷ってしまうところはある。
「夜の果てへの旅」読んでよかったけど。
後期三部作は国書刊行会辺りから出ているはず…
(2010 09/01)

ぺレック「消滅」(訳書は「煙滅」)

現代の小説ではペレックの「消滅」。何しろ小説全体から「e」の字をなくしてしまったのだから。ペレックはpereckとか書くのだが、そうなると名前が発音上は消えてしまう。ところがヘブライ語(ペレックはユダヤ系)では立ち現れる、とこういう仕掛けらしい。
ちなみに今日三省堂で見てきた日本語訳は「い」段(い、き、し、ち、に、ひ、み、り)を抜くというこれまた力技(だから人物名とかも変えてしまうという徹底ぶり)。

文庫クセジュでは16、17世紀フランス文学編もある。
(2010 09/04)

「煙滅」の記録はこちら ↓


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